2011.9.24

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.17

米国鉄道&アメリカ型鉄道模型ファンに贈る「レイルズ アメリカーナ」_DSC0821_s

それにしても、レイアウト造りというものは、造り込めば造り込むほど、新たな処、可能性が見えてくるし、意欲も涌いてくるものですね。そこが「レイアウトに完成なし」の名言が生まれた所以ではないでしょうか?予算や納期にリミットの無い個人レイアウトの特権かもしれません。

この「大門通り」も、「着工以来ここまで、22ヶ月掛かった」といっても、それは全く苦痛ではありません。たしかに、最初のうちは、面白くもない、一向にらちも明かない作業が続きますが、その辛抱を通り越すと、ピンセットで何か一つ置くごとに、どんどん目に見えて佳くなっていくのが実感できるようになります。そこがレイアウト製作の醍醐味。

さらにいえるは、これは30年以上一つのレイアウトに取り組んできて気づいたことですが、塗った色が、1年も経つと、やっと落ち着いて、深みが出てくる、しかも年々色に渋みが着いてくるのです。そこでまた手を加えると、さらに趣きが新たになりもします。

ウォルト・ディズニーが自らの「ディズニー・ランド」を、「パークは日々に成長していく」と語ったのに通ずる気分ともいえます。

わが「ビッグゲイト・アヴェニュー」は江戸きっての歓楽街として、その名が今に伝わる吉原の「大門通り」にちなんだものです。吉原をはじめ江戸期に生まれた遊郭街、上方でいう「色まち」は日本文化にいくつもの落語の名作を遺しました。江戸落語では「明け烏」「五人廻し」「文違い」「お見立て」「錦の袈裟」「文七元結」「紺屋高尾」「傾城瀬川」「突き落とし」「居残り左平次」など、上方では「三枚起請」「近江八景」‥いずれも、何度聴いても飽きません。そこに描かれる、したたかに生きる女性たちの小気味よさは、まさに下町文化の華と思います。いまの歓楽街は、こうした文化を生みませんね。なぜでしょう?

私の生まれ育った家の生業は、ご存知の方も多い、下町の呉服屋でした。私の物心つくころにはさすがに遊郭のお得意さんはありませんでしたが、芸者さんの世界とは隣どうしの関係にあり、家での団欒時にも大人たちの会話には、その世界の話はほとんど日常会話でしたし、一方、家人が店番の合間に交代で昼食を摂る店の裏の台所ではラジオでしょっちゅう落語が流れていましたから、「廓ばなし」の雰囲気はよくわかりました。

もう一つ、これは鉄道趣味誌には語られたことはありませんが、戦前、ちょうどC
53の全盛のころ、国鉄機関士の給料というのは相当によく、また、彼らの多くは「半農半鉄」で小遣いに不自由しなかったので、長距離乗務でいく折り返しの街では、帰りの乗務までの時間に遊郭へ繰り込むのが、機関士の日常の楽しみだったのだそうです。そのために大きな機関区のそば(大体、場末ですね)には必ず遊廓があったといいます。

私は、この話は、もう亡くなってずいぶん経ちますが、名古屋の模型クラブ、NMRCのベテラン・メンバーで元名古屋機関区の機関士だったI 氏から直接聞きました。そういわれてみると、「港、港に女あり」ではないが、たしかに蒸機時代の大規模機関区の近所には、そういう雰囲気の残っている一角はありましたね。宮原機関区と十三も、もしかしたら、そういう関係にあったのでしょうか?

デンヴァーで、ホテルの部屋に備え付けのタウンガイドで見て、行ってみたウエスタン料理のレストランが偶然にも、昔のデンヴァー・アンド・リオグランデ・ウエスタン鉄道の機関庫の真ん前で、これはその昔、乗務員相手のレストラン兼酒場だったのだろうと推測されましたが、間口に比べて深い奥は宿屋だったような拵えで、辺りの雰囲気といい、往時は、その筋の女性たちに営業場所を提供していたとしても不思議ではない感じでした。

当D&GRNのリンデンウッド機関庫の正面、乗務員宿泊所からインターアーバンの線路を渡るとすぐのロケーションに「ビッグゲイト・アヴェニュー」を造ったのには、偶然ではなく、そうした伏線がありました。すなわち、「完全な大機関区を再現するなら夜のお姐さんたちのお仕事場もセットであるべき」というストーリーです。

世界に機関庫のあるレイアウトは数知れず、といっても、ここまで「乗務員の福利厚生」に配慮した機関庫は当リンデンウッド庫だけではないでしょうか?(まだターンテーブルもきちんと動かないくせに、自慢になるか!‥という陰の声も)

さて、その1軒である、酒場「ポパ・ウイリーズ」ですが、これはDPM社(現在はウッドランドの傘下)のプラスティックとホワイトメタル混合キットを、窓をいくつか開放状態に変えて使い、レタリングもキットのままです。元のキットは暴走族の溜まり場を想定していますから、そのまま「お姐さんたちのお仕事場」であってもいいでしょう。その2階への外階段の上の壁面には「FOR RENT / ROOMS」のサインが‥

これも落語の「五人廻し」のセリフからの知識ですが、江戸時代には「女郎屋」だったものが明治になって法律が出来て、「貸し座敷」と名が変わったそうですね。「店は場所を提供しているだけで、女性たちは個人の自主営業ですよ!」という体裁をとったのでしょうか?まさに「ROOMS FOR RENT 」を訳せば「貸し座敷」。偶然にも落語が活きました。