アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.26
昨日、かかりつけの順天堂病院で4時間の点滴を受け、家に戻って何とかレイアウト工作を再開、と思ったのですが、腰と背筋に力が入らない、という状態での工作って、まず無理ですね。背筋に力が込められませんと、腕だけでは工具も材料も保持できない、というのが、よく判りました。
病院で出された薬が良く効いてくれて、今日は一転回復しましたが、やはり4日間のほぼ絶食と脱水で、まだ身体がガタガタしており、とても大仕事は無理と悟り、クレメンタイン入口、線路脇の小学校の校庭をまとめていきました。
この小学校はCampbell社のIOWA SCHOOL HOUSEというキットを、これも30年以上前に組み掛けて、立体になったところで、「とりあえず寸法は判ったから、いいや!」と放置していたものです。実物はロス・アンゼルス郊外のテーマ・パーク、Knott’s Berry Farmに保存されています。
で、残りのパーツと寸法図を求めて、レイアウトの下を這いずり探しましたら、出てきたのですね、30年以上前の箱が‥このあたりが、私の周辺が生涯整頓されない、何よりの証拠です。
ちなみにCampbellという姓はスコットランドの豪族(クラン)の一つで、創業者のレオ・キャンベルの祖先もその出身です。これはご本人に逢った時に「もしかして‥」と訊きましたら、「そうだ」と笑っていました。ですから同社のキットの化粧箱はずっとタータン・チェックの意匠になっている。それもキャンベル族固有のタータン・チェックです。
Campbellといえば、米国の有名な缶詰スープ会社も同名ですが、実は同様に創業者がキャンベル族で、あの缶詰の意匠もバックは同じタータン紋様です。スープとストラクチャー、両方で米国きっての老舗が、ルーツが同じ、意匠も同じ、というのも何か楽しいではありませんか。
さて、本題の学校ですが、キットにも校庭の遊戯物は入っていますが簡素なブランコとシーソーだけ。開拓時代の学校ならそんなものだったかもしれませんが、D&GRNの標準風景は1950年代なので、もう少し何か置いてやりたい。そのあたりにも、このキットの工作を中断してしまった理由はあったかもしれません。
しかし、30年の時の流れとはありがたいものです。じっと待っていると、あとから製品のほうが追いかけてくるのですねぇ。サンショウウオが岩陰に身を潜めて小魚を待つがごとく(?)神経を集中して広告やカタログを眺めていると、ある年、格好のものが製品で出てくる-この快感ですね、キット利用の醍醐味は!
(そんなに待っている間に、さっさと自作しろよ、というのが正常な感覚ですが、キット利用派としては、あくまでも、キット・メーカーから、使い方を考えてみろ、と突きつけられた、そのキットを、自分は使いこなした!という征服感がたまらないのです)
この春先、いよいよこの校庭に取り掛かることにして今年2011年版のWalthersのカタログをめくっていきましたら‥シーナリーの項にありました。BUSCHのPlayground Equipment、すなわち遊戯物のセットです。ブランコ、シーソー、砂場、平均台、スプリング木馬。NOCHのPlayground Accessoriesには鉄棒があります。
これぐらいあれば何とかなるだろうと注文しました。現物が到着して感心したのは、てっきりいつものプラ製だろうと思っていたのに、BUSCHの方はバスウッドのレーザー・カットでした。これなら、田舎の小学校の校庭らしい雰囲気が出るでしょう。
ついでながら、日本では小学校、幼稚園の校庭、児童公園の遊戯物にやたらFRPが使われるようになって、風景として小汚くなりましたね。錆びない、腐らないと思って手入れをしなくなるうえに、紫外線で表面が劣化するからです。樹脂というのは使い込んでも味が出ません。いつまで経っても歴史になっていかないのが樹脂だと私は思っています。
さて、そこで改めてカタログを見直すと、ヨーロッパ製のこうしたレイアウト小物、小ストラクチャーに、いつの間にかレーザー・カットが増えてきているのに気が付きました。
ヨーロッパで鉄道模型人口が激減している、という情報は私も現地から直接聞いていますが、加えて、たとえ中国に外注してさえ、プラ成型の金型を新規に彫るコストはもう吸収し難くなってきている、ということなのでしょう。それゆえ、少量ずつでも初回生産、追加生産の可能なレーザー・カットがヨーロッパにさえ急速に広がり始めたものと見えます。
米国でも、あのプラ大手のウオルサーズが、今年はレーザー・カットのストラクチャーを出し始めました。中国=低価格、の時代がピークを越えたのでしょう。プラを塗るのが苦手で質感重視の私としては多いに喜ばしいことです。
と、以上のようなことを、「山師川」の製作や「大門通り」の照明工事の合間に少しずつやってきまして、週端に2日かけて校庭のフェンスを巡らし、遊戯物を固定したところで、まあ、ぶっ倒れた、と‥
で再開の今日は、まず校舎の周囲に花を植えました。これも今までのものと違ってスポンジやプラではありません。やはりWalthers が今年からNOCHに造らせはじめたBOTANICALSというシリーズ。これは着色済みの紙をレーザーで切り抜いたもので、典型的なアメリカの庭草を題材にしたもの。指先で捻りながらかたちを立体にしていくと、まさにそれらしくなります。
これは天賞堂の2階でレイアウト用品の輸入に知識とセンスと遊び心を発揮している中尾雄太郎氏に「こんなの、入りましたよ」と薦められたものでした。私が今回使ったのはVIRGINIA CREEPER,というつる性の葉と、HOLLYHOCKSというタチアオイの仲間のような花で、後者は私も実物を見た覚えがあります。
草花も植わった所で、もう壊す心配はないだろうと、玄関ポーチの手摺りをつくりました。脇に始業、終業を告げる鐘を、これは機関車用のベルを柱の上に載せて、立てました。
あの機関車用の鐘は、アメリカでは機関車専用というわけでなく、集会所や田舎の学校、作業現場の食堂などの写真でも見ます。私も実際に、そうした使われ方を、車の窓から見かけたことが幾度かあります。
こんな次第で、クレメンタイン支線沿線の最後を〆る「学校」もかたちになってきました。学校の名前は昔から決めてあります。「クレメンタイン・カーター・メモリアル・スクール」です。
もともと、このクレメンタイン支線の終点、「Clementine」は映画「荒野の決闘」(原題;My Darling CLEMENTINE)で、主人公ワイアット・アープが想いを寄せる知的女性の名前、クレメンタイン・カーターから撮っています。舞台はアリゾナ州トゥームストン。彼女はアープと張り合いつつ友情を育む肺結核のギャンブラー、ドク・ホリデーを追って遥か東部のボストンから訪ねてきます。彼がボストンの名外科医だったころの恋人でした。
自分の余命がいくばくも無いことを悟っているホリデーはわざとクレメンタインを冷たくあしらいボストンへ追い返そうとします。彼女が立ち去りかねているうちにホリデーはアープ兄弟に加勢して「OKコラルの決闘」で死にます。その間、アープは自分の知らない東部大都会の雰囲気をたたえたクレメンタインに密かな慕情を抱き続けます。
弟たちの仇うちを果たしたアープが父親の待つカリフォルニアへ旅立つのを、彼が密かに憧れ続けたクレメンタインが、独り町外れの丘で待っている、というのがラスト・シーン。そこでの会話。
「この町に残って、学校を開くそうですね。」「ええ、私がスクール・マムよ」「今度、牛を追ってこの町を通る時にはぜひ立ち寄りますよ」「学校を訪ねてくださる?」‥最後に馬上の人となったアープが「実にいい名前だ、クレメンタイン!」と微笑んで、先行する弟の馬車を追っていく。それをいつまでも見送るクレメンタインの姿、という名場面で映画が終わるのですが、私は実際にこのシーンが撮影された丘の場所を確認に行ったほど、この映画の余韻が好きです。
最近、DVDで劇場版とジョン・フォードのオリジナル編集版のセット、というのを手に入れましたが、フォードのオリジナルの方が、アープの片思いのせつなさが強調されていて、さらにいいですね。劇場公開版は映画会社が時間の関係で各所を詰め、最後に観客へのサーヴィスでキス・シーンを挿入したそうです。
というわけで、この学校は、そのクレメンタイン・カーター嬢が教育者となって開いた学校の一つ、という設定になっている‥と、今回もまた映画の話になってしまいましたね。