新連載! 『最近入線したアメリカ型車輛』 2011.6
バックマンの「バーニー・カー」
写真の撮影場所は「Big Gate Avenue」の裏側で、裏通りとそれに沿って走る電車線をリンデンウッド機関庫の中から本線越しに眺めています。本線の列車の乗客を目当てにした野外広告を書き換えている脇を鋼製低床の単車、「バーニー・カー」が走り抜けていく、というシーンですが、背景にエレン・メサを巡るループ線の鉄橋や、その後方のメサ群が見えています。
写真の「バーニー・カー」はこの春、バックマンから発売されたばかりの新製品です。実物は第1次大戦当時に人手不足対策としてのワンマン運行可能標準車として全米各地大小都市の路面軌道に採用された規格量産車で、設計者の一人、チャールズ・O.バーニーの名にちなんで「バーニー・セイフティー・ストリート・カー」と呼ばれました。
製品は両軸駆動、フル・インテリア〔塗装済み〕付き、ポール集電への切り替えスイッチ付き、速度、方向、前照燈点滅を制御するDCC車載装置搭載でDC運転用ダミー・プラグも付属。さらに今後発売予定のDCCサウンド装置の搭載準備済み。これで現地価格が何と175米ドルです!
バックマンは今から100年以上前にアメリカで初めて樹脂製の雑貨容器製品は発売した、という古い企業で、鉄道模型に進出してからは「走らない粗悪製品」の代名詞のように評価されていましたが、いまから20年ほど前に心機一転、高級仕様の「スペクトラム」シリーズをスタート。以後、HOダイキャスト製シェイやGゲージの本格アメリカン・ナロー、On30の製品化、など、近年、ベテラン・ファンの心をくすぐるような好企画で快進撃中です。
その企画の中心にいるのが副社長のリー・ライリー氏。私の米国での、極めて親しい友人の一人ですが、身体の髄からのモデラー、といっていいでしょう。祖父、父、親戚が揃ってボルティモア・アンド・オハイオ鉄道の鉄道マンで、その父親に手を引かれてボルティモアのB&O鉄道博物館のグランド・オープンに参列した、というのが氏の自慢。
私より3歳年上とのことですが、NMRAのコンベンションでもナロー・ゲージ・コンベンションでも、そのほかの鉄道ファンの撮影会でも、本当に朝から晩まで、モデラー相手に熱っぽく模型談義をやっています。自身は林鉄ナローのファンで台湾の阿里山、羅東、ルーマニアの奥地までも、その蒸機時代に行っているそうで、米国内ばかりでなく世界に視野を広げています。
こういう人物が一人居るだけで、事実上瀕死状態に陥っていた老舗も元気を取り戻すのですね。老舗、といえば、近年、米国鉄道模型界ではバウザー、アサーン、ウオルサーズ、そして、このバックマン、と、1950年代からの老舗メーカーの活躍が市場を引っ張っている観があります。そこへDCC絡みの新進メーカーもいくつも参加してきて、ファンを刺激し続けています。とにかく雑誌の広告に業界挙げての元気が感じられます。
バックマンの「バーニー・カー」、今回は5都市の塗装、レタリングがまず発売ですが、実物が全米規模の標準車ですから、今後、東部、中部、西部、西海岸の「ご当地バージョン」でえんえんと商売が出来るのです。しかもDCCというものの利点を理解させやすい、続行運転基本の軌道もの。これなら新しいDCC導入を呼び込めるでしょう。私でさえ、「これならダウンタウンをテーマにした小パイクを造ってDCCで遊んでみてもいいか?」と思い、色違いで3台も買ってしまいましたもの。リーの作戦は見事です。