アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.36
これを書いております只今は、午前3時近く。昔で申します“丑三つどき”。「米山鉄道」の仕上げの大詰めですが、パーツの乾き待ちにキー・ボードを引きずり出しました。
“丑三つ”といえば、幽霊の方の御定刻ですが、こちらはさしずめ“丑三つ時のモデラー”ですね。死んでも、この時刻になると、工具を下げて皆さんの枕元に現れるかもしれません。“ビスが、一つ、足りないー”とか言って‥
“とれいん”の創刊のころ、“8味半のモデラー”と名づけた軽工作の連載をやりました。お勤めから帰られて「8時半から工作台に向かっていただければ、お寝みになるまでの2時間ぐらいで、こんなことぐらいは出来ますよ“という実践でしたが、そのうち、通勤圏も拡がり、またどちら様も残業時間も延びる一方、という時代に入って、皆さん「8時半には、まだ電車の中」というのが普通となり、キャッチフレーズ自体が通用しにくくなってなってしまいました。
しかし、いまでも「1時間半から2時間」という作業時間は、ちょうど無理なくやれる範囲で、実に頃合ではないか、と思います。雑誌の工作記事を拝見しておりますと、何か、趣味というより、工場のノルマのようにやらないと作品はできないような感じを受けてしまうことが多かったのですが、あれでは読む方の腰が引けてしまうのではないか、と当時も思いましたが、いまでも、どの雑誌も、「工作記事」というのは何か定番のスタイルが出来てしまっているようで、あまり変わりませんね。「チンタラ、適当にやっているうちに、何となく出来てしまいました」というのは、先ず、ありません。
私のレイアウト製作なぞは、まさに「チンタラ、適当と思いつきでやっているうちに、何となく出来てしまいました」の典型ですが‥そもそも、レイアウトには「ここで完成」という決め付けが難しい。しばらくすると、またいじりたくなって、あるいは新たに思いつくことがあって、手をつける。そういう種が限りなく埋もれているのがレイアウトではないでしょうか?まさに「レイアウトに完成無し」です。
この「レイアウトに完成無し」という、昔懐かしいフレーズですが、昭和30年代前半のTMS誌で、山崎喜陽さんがすでに使っておられます。
「レイアウトに完成なし、といわれるが‥」と、あたかも、鉄道模型界の通念であるかのように伝聞体で書かれていますが、いまになって考えてみるに、当時の日本で、レイアウトを実際に造った、というモデラーはそう多かったわけではなく、また米国の雑誌にそれに該当するフレーズが通念として書かれているのを目にしたこともありません。(といって、隅から隅まで点検したわけではありませんが)
<いま、中断して、トミックスのジオコレの欅が乾いたので10本、植えてきました>
どうも、これは何かヒントとなる記述が米誌にあったにせよ、多分に山崎さんの創作ではないか、と私は想像します。あの方は、模型界に広がった「論客にして帝王」というイメージとは裏腹に、実は大変にシャイな御性格で、あれだけの権威の方がご自分で断言してしまうのを驚くほどに躊躇されるところがありました。「君はいいよなあ、ああやってズバリ書けちゃうから‥」といわれた事がありました。そういう御性格からすると、「自分は実際にレイアウトを造った経験があるわけでもないのに‥」という遠慮で伝聞形式をとられた、という可能性は十分ありえます。
たしかに山崎さんはご自身では本格的なレイアウトは造られたことはなかったようですが、にもかかわらず、この「完成無し」を「レイアウトの真理」と喝破されて雑誌に紹介された、という一事だけでも、やはり「日本のレイアウトの偉大な先達」でいらしたと思います。大学の専攻が地形学だっただけに、お話のなかに、レイアウト論としては大変深みのある見識が窺えました。
そして、なにしろ、昭和40年前後に中学生から高校生だった私の、当時の周囲、先輩や同級生のモデラーが既に皆、この「レイアウトに完成無し」の言葉を識っていたのですから、山崎さんの果たされた教育的役割がいかに高質のものであったか、と、今さらながらに思います。
いまの鉄道模型の、いわいる「初心者向け」という指導書(もどき)には、こうした哲学的、というか形而上の視点が全くありません。いまの機芸社の行き方では難しいかもしれませんが、「ミキスト」こそ、鉄道模型のバイブルとして復刻されるべきものではないでしょうか?
で、「米山鉄道」ですが、この1週間ほど、まさに至福の時を過ごしながら、「完成なし」の名言を噛み締めています。作りこんでいけば、いくほど、シーンはますます立体的になってくるし、それにつれて詩情も深まってくるようです。自分の手が造っているのではなく、何ものかが異次元の空間から景色を転送してきているような、不思議な感覚に捉われてもいます。
まさに「レイアウトは自ら成長する」という感じです。
駅の玄関に駅名看板「米山鉄道 美穂登駅」を掲げ、エコーモデルの16番用の高さを約1割詰めた郵便ポストを置き、ホームの上の電燈やベンチ、客車に向かう担ぎ屋のおばさんを歩ませ‥ 1200x550mmの世界ですが、いくらでもやることがあります。
< いま、駅境界を示す古枕木の柵を巡らせ終わりました >
実は、8月21発売を予定している『LB4』に、このセクションを紹介するには、明日の午前中までに約半分、夕方までに残りの撮影を終えるように、パートナーの小畠女史に厳命されておりまして、「それでもギリギリ間に合うかどうか、ですよ!」と脅されております。でも、あとポイントのダルマを2個、車止めの標識を2本、駅の待合室と客車と鉱山トロッコの詰所にダルマストーブを置いて、貨車のウエザリングをすれば、なんとか当座目標としてきた所まではゴール・インです。
「英国製の4-4-0が、古い電車の電装を解除した妻面5枚窓の木造客車を牽いている」‥まだ日本橋に住んでいた頃でしたから、小学校の半ばでしょう、「鉄道ピクトリアル」誌のグラフで見た、秋の東武矢板線の1枚の写真の味わい深さに、「これを模型で再現したい!」と惚れ込んでから52、3年になりましたか。ずっと脳裏に描き続けてきた夢の情景が、舞台を越後に替えて、いまようやく眼前に実現しました。実に長い長い夢でしたから、やはり感無量ではありますね。
1枚の写真がこれだけ長い夢を見させてくれるのですから、なんと素晴らしい趣味、なんと楽しい人生であることでしょう。
気がつけば表は明るくなってきました。「気の効いたお化けなら、引っ込む時間だよ」というセリフが落語にあります。一寝入りしたら、また作業再開です。