アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.47
自分でも不思議な能力、というか本能に近い行動は、鉄道写真を撮るときに、ほとんど瞬時に、自分がカメラを構えるべき地点を半径1m以内に絞って決められることです。
たとえば、今回の撮影ツアーのように列車である未知の地点に運ばれて、「次はここで撮るから降りろ」といわれても、乗降デッキに立ってあたりを見回した瞬間、バックと光線を読んで、足を運ぶべき地点が「あの草むらの右角がベスト」とか「あの窪地にかがめば、こう撮れるはず」とか、仕上がりの構図が見えて、そこへ直行して98%以上、思惑と外れません。
ですから、地上へ降り立って歩き出したときには、頭の中では構図もコントラストもほぼ仕上がっていて、あとはシャッター・チャンスに賭けるだけ。従ってまわりに何十人のファンが居ようとも、あとから降りようとも、撮影ポジションを決めるのは素早いです。まずトップ・ファイヴには入ります。皆が三脚など伸ばしているうちに、構図の点検も終えてカメラを下ろしています。そして、人の悪い事に、周囲が構図や光線の読みで、すでに失敗しているのを、そ知らぬ顔で眺めています。(これがツアーの楽しみ)
鉄道写真の失敗とか、うまく写らない、とかというのは、8割以上はポジション選びで、すでに失敗しているのです。
スペースに余裕のある時は前後左右50cmぐらい動いてみることもありますが、結局最初の直感で立った位置がベスト、という結論にまず落ち着きます。手前の草の重なりとか、バックの樹木との関係とか、遠景の山の稜線のキリの良さ、とか、列車写真を撮るベスト・ポジションって、野球のキャッチャーが構えをずらす範囲より狭いぐらいですね。
列車写真を撮るときには三脚は絶対といっていいほど使いません。もう40年、使ったことはないと思います。カメラを三脚に固定すると、列車や煙が画面からはみ出すのを怖れて構図が萎縮したり、シャッター・チャンスが粘りきれなくなったりするからです。
その代わり、列車の移動につれてカメラ・アングルをずらしながらもファインダーの四隅だけは無意識に見ているようです。どこかの角とか線とかに絵の一番手前の隅が揃えてあるからです。
シャッター・チャンスの見切りはまず車体の反射、蒸機列車の場合はそれと煙、蒸気の流れの延び具合の組み合わせですね。これはファインダーを落ち着いて見つめていると、じわじわ変わっていくのが見え、次の変化が予測できますから、見越しでシャッター・ボタンを押し込んでいけばベストの瞬間にシャッターが落ちます。
見えたからシャッターを押すのではなく、見える何百分の1秒か前に、次の瞬間を予測してシャッターを押し始める、という感じなのですが、これは慣れれば体がそう反応するようになります。
こればかりは動画から抜き出すのならいざ知らず、秒間コマ数一桁の自動連写でも偶然が当る確立は100%ではありません。私のように運動神経の鈍い身体でも、神経の伝達の速度たるや、まさに畏るべし、です。
「煙や蒸気の動きを読む」という点で、むしろ難しいのは夜景の撮影です。これはデジタルカメラ時代の今日になっても、画像の荒れとか、光芒がきれいにまとまるレンズの絞り値とかの制約で、相変わらず何十秒かはシャッターを開けておかねばならず、その間に煙や蒸気は動くわけで、それが上手く流れてくれれば幻想的な美しさになってくれますが、風向きで悪く巻いてしまえば、すべてが台無しになってしまうわけで、辛抱強さが求められます。
こちらはどうしても三脚の世話になるわけですが、大体、車庫、それも蒸機の庫というのは暗いのが相場で、肉眼でもよく見定めが利かないところを写そうというわけですから、邪魔物が画面に入らず、水平も狂わず、絵としてきれいにまとめるのには、昼間の列車写真以上に落ち着いた観察が必要です。
今回のツアーでは夜景の撮影会が四晩もあって、場所も一晩目は標高3000mのクンブレス駅、二晩目はチャマ機関庫、三晩目、四晩目はデュランゴ機関庫と盛り沢山。おかげで宿へ入るのは毎晩23時過ぎ、朝は連日5時起き、というハード・スケデュールでした。
「ナイトフォト・セッション」と称して、毎晩、大型発電機を構内に持ち込んで、機関車をライトアップしてくれるのが売り物でしたが、なにしろ暗闇のなか、何十人もの参加者が三脚を担いで右往左往しては何十秒かの露光を繰り返すのですから、ぶつからないよう、重ならないよう、動くのは大変です。
しかも、巨漢揃いで、なかには動作の鈍い、ほとんど未経験者もいます。こちらが写している前に平気で入ってくるは、いつまでもどかないは、で最初はいらいらしましたが、しばらく観察していると、米国のファンは概してオーソドックスなアングルで撮りたがるので、少し離れた場所から、中望遠で狙うような場所には、あまり来ないのです。それから、ライトアップの光線を純光で使おうとする。(これは、実は黒い機関車がバックに埋没してしまうので得策ではない)
そういう習性を逆用して、三晩目のデュランゴ庫で、ほとんどの撮影者は機関車間近に群れているのを遠目に、誰も来ないターンテーブルの反対側から狙ったのが今日ご覧いただく一枚です。
画面中央、煙室扉に片寄せて複式コンプレッサーを吊ったのがアルコ製のK-28クラス。もともとは快速旅客用。両脇のボイラーの太いのがボールドウィン製で重貨物用のK-36クラスです。
ターンテーブルがK-28に一直線に向いているのを幸いに、シンメトリーの絵を作ってみました。リオ・グランデ鉄道の3フィート・ナローが盛んに活躍していた往年の光景が偲んでいただけますでしょうか?
K-28は私が中学生の折、鉄道模型社に国内分売が出た、という情報に飛んでいって手に入れた最初のHOn3モデルでした。当時はまさか遠い将来、こうして実物とじっくり過ごす晩がこようとは、それこそ夢想だにしませんでした。
晩秋だったか、初冬だったか、模型社を出たときは駿河台の向こうに陽が落ちていた中、やっと手に入ったK-28を抱きしめて地下鉄の駅へ向かったのを昨日のように覚えています。あれから47年か48年か?長かったような、あっという間だったような‥ただ、望みをはるかに超えた、自分でも信じられないような展開だったことは確かです。ここまででも十分にお釣りの来ている人生ですね。
K-28を前にしても、単なる実物ファンだったら、この感慨は涌かないことでしょう。やはり模型あればこそ、です。ロッキーの初秋の肌寒さもむしろ快いぐらいの夢見心地で、その幸せを噛み締めた夜でした。