2013.4.4

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.53

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先週、ちょっと調べ物があって、1960年代前半の米国の『モデル・レールローダー』を繰っていましたら、1963年のバインダーでしたか、ジョン・アレンの第3次G&D鉄道の全貌が初めて発表された記事が出てきました。中学生当時、胸をときめかせて何度も眺めた懐かしい記事です。

さて、あの偉大なレイアウトの面積はどれほどか?

彼のG&D鉄道はその後、単行本にまとめられ、一時絶版になっていたのが近年出版社を替えて再刊され、いまでも日本ならFABで入手できますが、あの本では、私の見落としでしょうが、図面はいくつか載ってはいるものの、数値を私は正確に掴んでいませんでした。プランに中に描かれたグリットをざっと数えたりして、実は今までは、わがD&GRN鉄道地下レイアウトとほぼ同程度の面積で、ただ、こちらはかなり細長の長方形なのに対して、あちらはほぼ正方形に近い、という風に漠然と想像してきたのです。インチで描かれたグリットをフィートに換算して、さらにメートル法に換算するのは算数が得手でない私にはかったるい上に、正確に計算する必要も起こらなかったので‥

ところが、今回MR誌に彼自身が書いている紹介文の図面にはより判りやすくレイアウト・ルームのデーターが出ており、それによれば、出っぱり、引っ込みを嵌め合わせて整理して、「ほぼ7.01mx8.38m=58.75m2=およそ17.8坪、36畳弱」だというのです。

もっとも彼は部屋の対角線を基軸にしてレイアウト・プランを描いており、一部は部屋の張り出し部分にも延びていましたので、そこの測り方次第では9.9mx7.01m=概算42畳と見られないこともありません。

で、わがD&GRN鉄道は、と申しますと、26.8坪、53畳強で、レイアウト・ルームとしてばD&GRNはG&Dより、およそ10畳大きいのだ、ということがわかってしまったのです。

もちろん、面積で、というだけの話であって、偉大さ、濃密さにおいてはD&GRNはG&Dに遠く及ぶものではなりませんが、それが、アレンが作業の中心とはいいながら、5,6名の協力者が入れ替わり立ち代りで協力しても、生涯独身で、両親の遺した遺産に利息で生計のために働く必要のなかったアレンでさえ、生前、遂には全線開通までは到達できなかったのに、当方はここ20年以上はほとんど私一人で、それも一応仕事もしながらですから、「そりゃー、どこまでできるはずはねーよ!」と、自分の計画の無謀さにいまさら気付いて、もう、笑ってしまいました。正確には「呆れて、あとは笑うしかない」という感じですかね?

まじめな話、いままでこれに気付かなかったのは、頭では知っていても、アレン一流の「小編成、急カーヴ急勾配、ストラクチャーのコンパクト設計」の妙に幻惑されていたのですね。毎日のように、彼のG&Dより広いレイアウトを眺めている私をも永年、気付かなかったのですから、改めて彼の偉大さ、緻密さに脱帽した次第です。

私のレイアウトは彼の境地に憧れながらも、「長編成、大型機の自在な運転」という別のチャレンジもコンセプトにしていますので、その分はどうしてもG&Dより間延びものになってしまうのですが、それでも尊敬するアレンより生涯であと10畳余計に造らなければならないとなれば、もうひたすら愚直に頑張るしかないですね。完成を急いで手を抜けば、そこがあとから気になる一番は自分ですから‥

それにしても手を掛ければ自ずと時間も掛かるのは道理です。「クレメンタイン・カーター記念学校」の校庭への人形配置と前後して、この春に着手し、少しずつ作り重ねてきた一区画もようやく完成しました。

クレメンタイン支線が学校の脇へ回りこむカーヴのコーナーです。郵便局を兼ねた1軒の雑貨店が街道脇にあり、道を挟んだ反対側に支線が通っている、という設定です。

この春先の途中経過でも説明していますが、私はここで新たな「遊び」を試そうとしてきました。

その発端は、この変哲も無い小さな郵便局兼雑貨店にあります。これは6,7年前でしょうか、米国の『クラフツマン』誌の広告で見つけて、ふと取り寄せたレーザー・カットのキットでしたが、大して工作意欲も涌かなかった時に、白い建物のウエザリングの習作として、レイアウトのどこに使う、という目的もないまま、途中まで組んではみたものの、フィニッシュには至らずに数年放置していたものでした。

キットの説明では、ノース・カロライナ州のアパラチア山中、ノーフォーク・アンド・ウエスタン(N&W)鉄道の支線のネラという停留所の向かいに実在した建物を忠実に再現したとのことでしたが、その説明にも大した興味は涌きませんでした。

それが昨年、ヴァージニア州を周遊した旅で、旧N&W鉄道の大ヤード、機関庫、1952年まで大型蒸機を自製していた自社工場まであったロアノークという街で、旧駅舎を改造した「ウインストン・リンク博物館」に偶然行き当たり、そこで初めて理解したのです。それはリンクの写真の1枚に登場している建物なのだ、と‥

ウインストン・リンクは米国で最も有名な鉄道写真家の一人で、鉄道ファンの間のみならず、近代アートの芸術家として一般に知名度を得ている点では特筆すべき存在です。戦後、N&W専属の広報カメラマンとして、数十発にも及ぶフラッシュ球を日中1日がかりでセットして、それを同時発光させて巨大蒸機の驀進と沿線生活を夜景の中に静止させたモノクロ写真の数々はまさに1950年代の驚異でした。これらの写真は米国の鉄道写真集だけではなく、日本でも絵葉書やカレンダーとして一般書店やデパートで売られていることがあるので、特に米国型ファンでなくともご記憶にある方もあるでしょう。

自分のサインをフクロウにかたどったほど夜景で鳴らしたリンクが珍しく日中にルポルタージュ風の連作で撮ったのが、ロアノークに近いアビンドンで本線から分かれて、南の州境を越え、ノース・カロライナ州のウエスト・ジェファーソンへ行くアビンドン支線に一日一往復の混合列車、通称「ヴァージニア・クリッパー」でした。

彼がその列車を夜景として撮らなかった理由は、列車が完全にデイタイムにしか走っていなかったからだそうですが、車で追ったり、機関車や客車に乗ったりしたりして、沿線の住人たちとしっとりした南部アパラチアの風景を、これまた彼の作品には珍しく、組写真風にもなるようまとめています。

その中の一枚が「ネラ」で、風変わりな駅名は、本当は鉄道としては「アレンALLEN」としたかったのが、近所にすでに同じ地名があったので、ひっくり返して「ネラNELLA」にした、というふざけた由来なのですが、この手法の命名法は米国には時々実在し、ジョン・アレンもG&Dのなかでアキンという村が鏡に映った像の方に「キンア」という地名をつけています。

で、この「ネラ通過」の1枚にある人物の配置が実に佳いのです。線路際で列車の通過を見送る若い女性と少女4人、店の入口には暇そうに座り込んだハットの男性‥

この春、30年この方中断していたクレメンタインへのカーヴの製作を再開したとき、作りかけだった「ネラの郵便局兼雑貨店」がスペースにぴったりで、なおかつリンクの写真の構成を再現できそうな道幅が取れると分かった時、「ならば人物のシチュエーションまで再現できないか?」と思い立ったのです。

いままで、実車に似せる、ウエザリングを似せる、風景を似せる、というのは世界の模型界に沢山行われてきたと思いますが、「人形の配置を有名な写真に似せて立体に再現する」という課題は誰かやったでしょうか?私は寡聞にして見たことがありません。それも「巨匠ウインストン・リンクの作品で」です。

「これに何とか挑戦したい」と思い、実は「校庭の子供たち」以上に、プライサーの現行商品のあちこちのセットを探し回ったのです。リンクの写真に登場しているのは、いかにも、決して裕福ではない南部アパラチア山間の村らしい服装の少女たちです。こうなると選択肢がなおさら狭まってきます。店の入口に座り込んだ男性の方は古くから持っていたウエストン(キャンベルの人形ブランド)の人形にお誂えの人物?が見つかりました。

リンクのこの写真には写っていませんが、別の地上でネラを訪ねた時に写した、この店のペットで“ジンボ”という犬が居たそうですので、これも体格の似た犬を店の前のデッキに寝そべらせました。

ということで、リンクの写真とは逆のカーヴながら、名匠の写真の瞬間の再現を完成させました。リンクの写真も個人的な資料として粗い複写を添付(著作権のことがありますので御自分での比較に留め、配布しないでくださいね)します。人物の位置関係、背丈の関係、見比べてみてください。

かくして「ウインストン・リンク」もD&GRNの中に取り込みました。キットのメーカーである若夫婦はその後、ナローゲージ・コンベンションで知り合いましたので、この写真を送ってあげようと思います。

人形を使って、こんな作品づくりもできます。レイアウトの楽しみは無限です。

今年のD&GRN製作はクレメンタイン支線に終始した感じですね。ジェッツウエルの丘の上の石油採掘櫓を組み始めて、今月でちょうど1年です。まあ、じわじわとは進んでいるのでしょう。