アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.56
12月ですね。プレス・アイゼンバーンから春に出版予定の本に原稿を書くことになっています。編集は私ではなく、「けむりプロ」の青山東男氏と杉行夫氏のプロデュースで、内外のナローや蒸機の思い出をオムニバス式に集めたユニークなものなのですが、私の担当記事の本文原稿、わずか2000字だというのに、9月も書けず、10月も書けず、11月もとうとう書けず、で、今年も残り4週間を切ってしまいました。
書く題材も決まっているのですが、どうもこの秋はわさわさ落ちつかず、刈り込んだ原稿を書くには今ひとつ精神が集中していません。
物事を説明する文章というのは、人それぞれでしょうが、私の場合、4,000字から8,000字ぐらいが一番リラックスして書ける文字量で、2,000字となると、書き始めでちょっと冗長にしたら、もうそのあと刈り込みが難しくなってしまう(無理やりまとめれば尻切れトンボになってしまうので、実は却って難題なのです。ちょうど1800×900の定尺ベニヤに16番レイアウトをプランニングする、というのに似ています。
鉄道模型の本や雑誌でも、自分ではレイアウト製作の経験がない編集者ほど「初心者にはまずミニパイクから」などと考えるものですが、皆さんにはよくご承知のとおり、レイアウトは小さくまとめるのほど難しいのです。文章書きも、それに非常に似ていますね。どちらもスペースの割り振りですから‥
で、目前にそうした難題を抱えていると、学校時代の試験前ではないが、つい余計のことがしてみたくなるものです。
家内と茶飲み話で水辺の植物が話題になり、ふとゴールデン・ウィークあたりの函館山線で日陰にミズバショウが咲いていたのを思い出し、インターネットで引いたら、いま時は売っているんですね、ミズバショウの苗が通販で‥盛岡郊外(おそらく山田線の方らしい)の野草農園でしたが、注文したらちゃんと送ってきました。
清流の水際に近い環境を鉢植えに作るために、以前海水魚を飼ったときにろ過装置の原理を応用して、鉢土と活性炭の中に水を循環させる装置を考えて製作してみたところ、何と早くも新芽が動き出しました。首尾よく5月ごろ開花するかどうかは予断を許しませんが、これに気をよくしてネット通販が面白くなってしまい、11月中旬のある日、夕食ができるのを待つひとときに、米国のオークション・サイト(というのですか?よく知りませんが
)e-bayの鉄道模型欄を試してみました。
検索したのはもっぱら、自分が小学生から中学の始め頃、つまり1950年代末から1960年代前半の米国の鉄道模型誌の広告をにぎわしていたが日本へ入ってこなかった製品とか、小学生のころ手に入れたが壊してしまったもの、買い逃したもの、といった「悔しい思い出の製品」でしたが、「NMRAコンベンションのオークションで10年以上探して見つからなかったものばかり、どうせ出てこないだろう」と高をくくりながら検索していくと、これが「入れ食い状態」で出てくるんです、次々に!
しかも、現下の円高!50年間にわたって想い続けた模型が居酒屋1回分(といっても私はせいぜい中生に冷酒1杯ぐらいですが)で落札できてしまうのですから感激と同時に、「俺の人生って、たかだかそんなもんだったのか!」と少々複雑な気持ちにもなりました。
大窓が美しいレヴェル社の複線機関庫、同じくレヴェル製品で、その後、車体は詰め所としていまでもコンコー社から出ているが足回りつきは絶版になってしまった作業車と木造カブース、山崎さんがミキストに日本橋三越で買ったと紹介したので慌てて飛んでいったが、売り切れでもう入荷予定は無いといわれたイタリアはポケールの米国型木造ロータリー車、いま現在はどこのメーカーからも製品が出ていない、蒸機時代適合の2軸ボギー大物車、アトラスが短期間広告して消えてしまい、実在するのか長年不明だった、風力走行のレール・レーシング・カー、などなど‥私にとっては宝の山(タイム・マシンかも?)
これはどうしても手が出てしまいますよね。
で、数ある米国の競争相手に、時差のある中、どう競り勝つか?これは意外と簡単。
米国人は基本的に、趣味に遣うお金には意外に慎重で細かいです。これはNMRAコンベンションで見ていてよく判りました。ですから競りというと、欲しいものでも1ドル刻み、50セント刻みで上げていきます。最初8ドルからはじまったものが5人も6人も応札してまだ12ドルぐらいでもみ合っていることがしばしばです。
そこへいきなり30ドルか40ドルぐらいポーンと入れてしまいます。そうすると私が40ドルなら、私の次の入札者は最低40ドル50セント入れなければなりません。しかし米国人は多くの場合、趣味に20ドル以上は大金だと思っています。いまなら1,600円弱、16番ならロストワックスパーツ2個買えるかどうか?
しかし、彼らの多くは「ヴィンテージ」といっても「ヴィンテージものコレクター」ほどケチですから、壊れかけたガラクタに40ドルも出しません。ならば私は40ドルで引き取る事になるかというと、私が入れる直前の最高値プラス数ドル、つまり、「カレント・ハイビッド」というやつで、せいぜい15ドルぐらいで済んでしまうのです。つまり、ブラフで「かかって来いよ!」と挑発して早期に相手の戦意を喪失させてしまうとあとはまず誰も応札してこなくなりますので、1分を争ってコンピューター画面にへばりつかなくても、大概落札できるのです。
これが1ドル刻み、50セント刻みで争っていくと、面白半分に首を突っ込んで釣り上げては出て行ってしまう冷やかしもいるらしく、意外に高いところまでいってしまい、しかも最後の1分で50セント足されて、さらわれてしまうことが多くなります。
で、ほぼ半月間e-bayを観察してみて、以下のことがわかりました。
1. ブラスモデルは概して安くは落ちない。結局米国の小売店の中古価格相場あたりで落ちる。最近発売のものはほとんど出品されないし、出ても下手をすれば市中価格より高くなってしまう。古いものでよく出品されているのは相当の生産台数の多かったものがほとんど。つまりe-bay頼りで筋の通ったコレクション(たとえば特定の鉄道の車輛)を集めるのはほぼ無理。
2. 量産の製品でもここ10年ぐらいの間に発売されたものはほぼ発売時の小売価格かそれ以上の価格になり、しかも販売者はバラバラだから、状態は保証されない。また1軒の模型店でまとめて買うのではないから、バラバラの販売者からの送料が馬鹿にならない。近年発売ですでに絶版のストラクチャー・キットなどでは馬鹿馬鹿しいプレミア含みの底値がついているのも見た。
したがってe-bayを使う価値がもっともあるのは40から50年前ぐらいでブラスモデル以外、か、プレミアも覚悟で近年の絶版品を探すときではないでしょうか?一つの補助的手段にはなるが、それ以上のものでないのも確かです。ヴィンテージといってもHOで1950年代から60年台初頭の間では製品数自体もいまほど多くはありませんし‥そして大概は自分の手で何がしかの修理修復をする必要があります。しかし、これがまた、どうやって直すか考えるのも含めて、楽しいのです。
今週の写真は、その、e-bayで取り戻した思い出の1台、アリスト・クラフト‐ニューワンモデル製のCB&Q 0-4-0テンダー機です。
ARISTO-CRAFT DISTINCTIVE MINIATURES社はメーカーであり、インポーターでもあった会社で今はOゲージとか1番ゲージとかに転じてしまいHOは手掛けていませんが、1950年代後半から1970年代初めまでは日本のニューワンモデルが製造する安価なダイキャスト製の中・小型蒸機製品を販売していました。
ニューワンモデルは1950年代に天賞堂が販売するCタンク機(初代)や米国型客貨車のキット(多くは米国製品のコピー)を製造、供給していたメーカーで、1950年代の末か1960年代初め、突然天賞堂と袂を分かって独自にアリスト向けのダイキャスト製蒸機を次々に発売しました。国内販売もしましたが、流通ルートはちょっと変わっており、東京都内では普段あまり16番製品を扱っていなかった日本橋・高島屋の模型売り場が一つの拠点になりました。
いずれも、ディテールは簡素な浮き彫り中心ながら、独自のモーターは強力で、ほとんどの製品はよく木製道床を座敷につないだだけの運転でも、よく走ったものです。私も0-4-0キャメルバック(これはかなりオーバースケール)を皮切りに数台所有しましたが、このCB&Q 0-4-0は一連の製品の中では最後の方で発売になったと記憶しています。大きさもほぼ正しいHOスケールで、ユーモラスなラッキョウ型の煙突に魅了されて、発売直後に買いました。
しかし、この製品に関しては残念なことに走行性能は期待はずれでした。キャブ一杯に収めたモーターが重すぎて、しばしば前頭が浮いてしまい、それで頻繁な脱線を誘発するのです。
しかし小学生では有効な改善策も見出せないまま分解してあったまま自宅が日本橋からの引越しに掛かってしまい、パーツのいくつかが行方不明となって復元もできず、そのまま廃車となってしまいました。
上回りはその後もずっと保有してきましたが、それを見るにつけても、「もう一度走らせてみたい」という思いは募るばかりでした。
フリーデザインではなく、シカゴ。バーリントン・アンド・クィンシー(CB&Q)鉄道の建設用に実在したものです。そういうことも後年知って、そうなると1880年代の工事列車などが再現してみたい。
この製品が模型的にも変わっているのは、ボイラーから主台枠が一体のダイキャスト鋳造となっていることで、車体組み立ての芯は実は動輪押さえ板。その上にモーターも上回りも載せてビス止めしていきます。
今回e-bayで入手したのは何と元箱入りの新品でしたが、米国で販売のものにはシリンダー部の下部にウエイトが1個ビスで共締めしてありました。これで機関車が尻餅をつかないように、前後のバランスを取っていて、注油したらよく走りました。米国では対策してから発売したのでしょうか?
ただこうした小型Bの宿命で、当D&GRN鉄道本線標準の8番ポイントでは集電部分がすべて無電区間に掛かってしまいやすく、そこで止まらぬよう、車体の前後にレール・ヘッドを直接こする集電シューをつけてやりました。走行はそれで安定しましたが、そうなるともう少し低速域での安定走行が欲しくなり、いまIMONコアレスにでも交換しようか、と考え中です。そうすればヘッドライトの切り替え回路を入れるスペースも生み出せそうです。
ニューワンモデルのオーナーは小型映画のマニアでもあって、8mm映画ブームが来た時に鉄道模型の生産を止めて映写機のメーカーに転じてしまった、と熊田貿易の創業者である熊田晴一氏から生前聞きました。ニューワン製品の米国への売り込みは熊田氏がかなりやったそうです。
こうなると、ますます、私が1歳半で初めて与えられて遊んだニューワン製の天賞堂初代Cタンク、あれをもう一度手に入れて当時の客貨車(これは長年掛けて集めなおし、いまではかなり持っています)とともにD&GRNを走らせてみたいですね。
数年前の浜松町スワップミートに出品されていて買おうと近づく途中に来場者に話しかけられて会話しているうちにまた別の方が挨拶に来られ、と動けなくなっているうちに閉場になってしまい、出品者も知らない方でしたから、それきりになってしまいました。こういうことは模型店でもときどきあって、会話しているうちに他の方が買っていってしまった、ということも‥なまじ趣味界に顔を知られていると、こういうとき辛いです。
天賞堂初代Cタンクに赤いカブースを連結して、もういちど走らせる‥私に残された究極の夢はどうもそれのようです。