アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.57
皆さんは子供のころから、別に是非にも知らなければ困る、というほどではないが、しかし、ずっと「あれは何だったのだろう?」と心に引っ掛かってきたものをお持ちではありませんか?
私の場合、鉄道模型に一つ、そういう「なぜか気になってきた謎の製品」というのがありました。
天賞堂や丸善日本橋店で時折米国の鉄道模型雑誌を買い始めたのは小学生の高学年です。それらの大半は今も私の手元に残っていますが、1961年(昭和36年)ですから6年生の年にはかなり熱心に買うようになっているのがわかります。まあ、読めないままに写真やイラスト、図面を眺めて想像していたわけです。
その中で不思議な広告に出会いました。いま確認すると1961年のMODEL TRAINS誌秋号です。ちょうど中学受験のための補習授業(中央区では私立受験が盛んでPTAが担任の先生にアルバイトとして頼んでやってもらう延長授業があった‐いま考えれば凄い話ですが)の合間に丸善の中の歯医者に通っており、そのついでに洋書売り場で米国の模型雑誌を買ってくるのが息抜きでしたから、そうした折の1冊でしょう。
ちなみにMODEL TRAINS誌はMODEL RAILROADER誌の版元であるカルンバック社がMR誌の姉妹誌として数年刊行していたもので、「MRよりやや初心者向けを狙った」とはるか後年、TMSの山崎主幹から伺いました。
その広告が今日の写真の1枚目です。当時の米国の空想科学漫画にでも出てきそうな未来型のスポーツ・カーにプロペラがついて、これで複線エンドレスのレールで競争させようというのです。発売はアトラス社で、同社はこのころ、のちに「スロットレーシングカー」と名づけられる、電動のレーシング・カーの奔りも発売していましたから、それを鉄道模型にも応用したものだ、というのはすぐに分かりました。
私は今も昔も、自動車というものになぜか全く興味が持てないのですが、この「スーパーマン」タッチ(当時バットマンは知らなかった)の、いかにも米国の子供が喜びそうな「未来型車輛」の子供だまし性に愉快を覚えたのでした。
当時から自分の興味は内外共に古典車輛に傾いていました(実は大型蒸機にはキャブ・フォワード以外、ほとんど興味が無かった)から、別に自分で持ちたいと思ったわけではありませんでしたが、「これはいったい、どんな走りをするのだろう?」という点だけはなぜか気になりました。
この不思議な玩具の広告はその後、しばらく出たのち、ぷっつり消えてしまいました。当時のアトラス社の広告は商品すべてがイラストで描かれ写真は出ないのが常(当時米国の模型雑誌の広告の半分ぐらいは同様でした)でしたが、その後50年、私はその現物にも現物の写真にも出遭うことがありませんでした。
そうなると、段々気になってくるものです。「あれは本当に発売されたのだろうか?」と‥
ところがもちろん一種の「与太商品」ですから、ブラスモデルの中古リストに出るわけはありません。NMRAコンベンションに参加するようになってからはオークションの会場で目を皿のようにして探して見るのですが、一度も遭遇しませんでした。
先週、e-bayの話をいたしましたが、始めて真っ先に探したものの一つがこれでした。商品名は「ターボ・エクスプレス」というのですが、検索を掛けてみると最初に「ターボ・エクスプレス発売の広告」というのだけがヒットしました。私の持っている雑誌の広告と同じようなものがポスターになったようです。
翌週また検索してみると、なんとあったのです!写真がちゃんと出ていました。私にとって半世紀の謎だった製品はちゃんと発売されていたのでした。そうなると、対して高価なものではないので、やはり一度現物を手にしてみたくなりましたが、入札しようとすると、これが「米国、カナダ以外には売らない商品」となっていました。
e-bayではときどきこれがあります。「売り先米国」になっていても実際に落札してしまえば、追加送料で日本へ出してくれる売り手がほとんどですが、稀に、最初から「海外からの入札拒絶」という頑なな売り手もあります。
しかしさらに数日後、また検索してみたら、「世界中発送可」で色違い、しかも元箱つき、というのがありました。しかも入札でなく即売。最初のものより20ドルほど高値でしたが、ここで見送ればまたいつ出会えるかわかりませんし、なにしろいまのレートでは1600円の差ですから買ってしまいました。
で、ついに半世紀のモヤモヤを破って!ターボ・エクスプレスはわが手元にやってきました。ガタイは想像していたより大きなもので、「HO」というより「On30」の救急車輛というサイズです。でも左右幅はNMRAのHO規格に収まっています。構造は、ダイキャスト・フレームにドラムつきのピボット車輪が2軸。このフレームがなんとアサ―ンの自由形Bディーゼル、「ハスラー」のものを使っているのです。アトラスの製品なのにフレームの下面にはアサーンの文字が浮き彫りになっていますし、カプラー・ポケットも掘り込んでありますから間違いないでしょう。車輪がドラムつきなのは、当時の「ハスラー」がベルト駆動だったからではないでしょうか?
モーターは28φほどの日本製罐モーター小判型(昭和36年にすでにあったんですねぇー)で、ソフト・ビニールのプロペラがついています。
フレームを分解し、ピボット穴に絡んだゴミを取り除き、すべての軸受け部に注油をして、D&GRNの本線で、いよいよ50年間の疑問を検証です。
最初は唸るばかりでぎごちなく微速でうごめく感じでしたが、次第に油がなじんできたと思ったら、突然猛スピードでダッシュです。
その速いの、なんの!私はいままで16.5mmゲージの線路の上をこんなに速く突っ走る物体を見たことがありません。ギヤーを介在させた動力車ではとても出せないスピードなのです。線路の間に積もった埃、ゴミも吹き飛ばしていきます。
ダイキャストのフレームが重い(しかしこれがなければカーヴで外へぶっ飛ぶでしょう)ので、さすがに5m以上連続の20/1000は登りきれないようですが、逆に下り勾配を走らせたら最初の数メートル力行すれば、あとは惰力で数倍走ります。むしろコーナリングではプロペラを逆回転させて抑速に使うと面白い。これはスロットレーシングにも無い楽しさです。停止も、まずプロペラの回転が止まって、そのまましばらく惰行して、やわらかに停止します。そこに言われぬ優しさがあるのが風力だというのを発見しました。
こういうのをまさに「童心に返る」というのでしょうね。(どちらのみち「童心から出ていない」という説もありますが)せねばならない用事が山済みの年末だというのに、つい毎晩遊んでしまいます。スーパーマンにしてもバットマンにしても、この車にしても、なにか間抜けた笑いがあります。そこが米国文化のスパイスでしょうか?一応まじめに造ったシーナリーのなかにこういうのが出てくると、余計怪しいおかしさがあります。米国ではどのくらい遊ばれたのでしょう?