アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.64
釣りの世界では「へらぶなに始まってへらぶなに終わる」というそうです。道楽はいろいろ遍歴を重ねたのち、最初惚れ込んだものの奥深さを再発見する、ということのたとえのようですが、私にとっての「へらぶな」はどうも4-4-0のようです。
幼少時に親しんだディズニーの漫画、西部劇映画、そして極めつけはディズニーの「機関車大追跡」で見た、あの大動輪の美しい回転でしたが、大きなダイヤモンド・スタックを振りかざしてサイド・ロッドを上下させる姿はシンプルに汽車の魅力を表徴しているように思われます。
それこそ、ビッグボーイから、かずかずの4-8-4や2-10-4やらから、シェイ、クライマックス、ハイスラーのような特殊機関車から‥と、米国のありとあらゆるサイズ、軸配置、構造の機関車を模型で経験してみましたし、いまもそれらも依然魅力的ですが、それこそ座右に置いておきたいのは、やはり4-4-0ではないか、と、近ごろ思うようになりました。
なにしろロッドは片側に2本だけ、それも2個の動輪を結んでいるだけ、というシンプルさですが、第1動輪の前のほとんど何も重ならない空間に長いメイン・ロッドが動き、直径の大きい動輪のスポークが回転するのもあからさまに見える、という優雅さはこの軸配置ならではのものです。
このシンプルな動きの美しさはまず1966,67年、高校1,2年生で東武鉄道に最後に残っていた英国製4-4-0を佐野線に追ったときに感じ、とどめを刺されたのは、2001年、ユタ州プロモントリーの大陸横断鉄道開通地点記念公園でユニオン・パシフィック、セントラル・パシフィック双方の4-4-0の実物レプリカが荒野の彼方からやってくるのを見たときでした。4-4-0の美しさをまさに再認識させられた、このとき以来、ふたたび4-4-0に対する情熱が盛り上がったわけです。
ところで、模型の世界ではどちらかといえば4-4-0は蒸機ファンに敬遠される軸配置ではないでしょうか?
その理由は「牽かない」というのが定説化、というか、半ば伝説化しているからでしょう。事実、前のめりで動輪に重量がかかりにくく、火室が細い上にテンダーも小さいために大きいモーターが入らない。さらには有効な集電軸数が取りにくいために走行も安定させにくい、とハンディーキャップが大きいのです。「確実に走らせるならビック・ボーイの方がはるかに簡単で安心」というぐらい、4-4-0の走行を低速で安定させ、そこそこの編成を牽かせる、というのは簡単ではありませんでした。実物のイメージとは程遠い全力疾走でもさせないと4-4-0は牽かない、走らない-これが、西部劇調のレイアウトを造り難い理由でもあったのです。
近年、マスコミがレイアウトのことを「ジオラマ」「ジオラマ」と書くので、ちょっと忘れられがちですが、「レイアウト」じゃ「ちゃんと走らなければ」、「成功したレイアウト」ではないのです。それには「脱線」「集電」「牽引」の3要素をクリアーしていなければなりません。最近、「レイアウトのプロ作家」と称される人たちも登場していますが、このことには全く触れませんね。「実感的に走らせる」ことは彼らの意識の中にはないようです。
実際、レイアウトで列車を低速から中速で安定的に走らせる、というのはそう簡単ではありませんよね。そこにある意味、レイアウト・ビルダーの腕の見せ所があるわけですが、それには線路の敷設と精度の管理、機関車の能力、トレーラーの転がりの整備、という条件が複合してきます。ここに2-6-0と4-4-0の決定的な難しさの違いが出てきます。2-6-0に牽引力を持たせ、安定的に走らせるのは全く難しくありません。動輪が1軸違うだけで雲泥万里の差。だから鉄道模型は面白いのです。
HOで古典的な4-4-0を安定した低速から中速でレイアウト上に走らせるにはどうするか?私の到達した結論は以下の3点でした。
○ モーターを細長いタイプのコアレス・モーターにする=直径は12φ程度でも、長さがその倍以上の寸法のものが望ましい。マグネットの長さが大きいのも大きなトルクが得られる条件。径が小さければ大概の古典的4-4-0のテンダー・シェルには収まるし、モーターが機関車側に搭載されている場合にも、ギヤーは第1動輪にあるのでスペースは取れる。テンダーに搭載する場合にはモーター取りつけ台の心配は不要。強力両面粘着テープの厚手を貼り重ねて高さを調整し、念押しにウレタン系接着剤を盛り上げておけば、それで充分保持できる。ちなみに私はナミキ製の12φ31mmというコアレスを使っています。
○ テンダー台車の集電側車輪に補助集電ブラシを新設し、そこからモーターへ直接結線する=古典的4-4-0のテンダーは概して小型で軽く、その上に車輪径が小さいために軸端も小さく、台車の取り付けもスプリングも無い直接ビス止めが多い。このために集電が安定せず、低速で安定した走行が得にくい、という状況が作られている。テンダー台車のボルスターの集電側に0.3φ燐銅線をハンダ付けし、そこになるべく細い黒の被覆コードもハンダ付けし、モーターのテンダー車体側に結線する。機関車側との渡しもドローバーを介さずに直接結線するのが望ましい。
○ キャブの中は目一杯ウエイトを積む=製品ではこれは結構やってある。窓ガラスを貼るとさほど気にならない。
少々高価ですが、結局コアレス・モーターが決め手になって「古典タイプの4-4-0を安定的に走らせる」という長年の懸案は解決してしまいました。
アメリカの古典的4-4-0は本国でも最近はあまり人気がないようで、新発売というのは近年ほとんど無いのですが、1950年代、1960年代には結構製品が出ました。それらをずっと集めてきて、いま手元にブラス製、ダイキャスト製併せて10台ほど持っていますが、それを順次、この手順で活性化しています。
昨年のJAMコンベンションでは整備が済んだ2台をそれぞれ連続8時間展示運転に使い、耐久テストも確認しましたが、車輪の集電面は全く汚れませんでした。
今年に入って、一昨年米国のファンの集会でのフリーマーケットで、1台20㌦で入手した古いタイコー社のダイキャスト製「ジェネラル」を2台、この方法で再生し、今週は日本のアカネが1960年代に輸出したフリー・デザインのブラス製品を復活させました。
もう20年ぐらい前に米国の模型店のリストに安く出ていたのを買ったものですが、主台枠と後端梁のハンダづけが外れており、ファクトリー・ペイントらしい塗装が屋根の部分、大きくひび割れていた(これもあって安かった?)ので、長らく放置していたものでした。
「アカネ」は1960年代にしばらく米国MR誌の裏表紙広告を独占していた日本の輸出専門メーカーで、その製品はまったく国内には販売されていませんでした。(一部、オーナー同士が親しく在日米軍関係者の顧客が多かった篠原模型店では売られたそうですが、私の行動圏外でした)
いまでこそ、世界の鉄道模型が日本に居ても、いろいろ簡単な手段で入手できる、眞に便利(その分、興奮も薄れましたが)な時代になりましたが、1960年代から70年代は、在日米軍の規模が縮小される一方、米国からの受注が盛んになったことを背景に、米国型の車輛製品は「ブラスモデルは日本で大量に造られているのに日本人には買えない」、「外貨制限があるために外国のプラスティックやダイキャスト製品はほとんど入ってこない」という、私のような根っからの米国型ファンには暗黒時代が続いていました。
その背景には生産が1950年代のようなメーカー自主企画からインポーター主導の契約発注に替わったことや、米国製ロストワックスパーツを支給されてはそれをつけて送り返す間の保税扱いから契約外の生産ができなくなった、という事情があったようですが、当時はそのような事情も分かりませんでした。
「アカネ」は天賞堂のような超高級路線ではなく、当時のユナイテッド製品とならんで、走行本位の中級路線で、そのかわりに豊富な製品数を誇っていましたが、「日本で買えない日本製」の象徴という意味でも、ユナイテッド製品と双璧でした。当時、輸出向けの製品がたまに並ぶ模型店があっても、中学生、高校生ではまともに相手にしてもらえず、ずいぶん悔しい思いをしたものです。「見つけた時に無理三段しても買わないとだめだ」という強迫観念がいまもって抜けないのはこのころのことがトラウマになっているようです。
「アカネ」は当時どこにあるのかも分からない、謎の存在でしたが、高校時代に日本ダービーでしたか「アカネテンリュウ」という馬が日本初の三冠馬となって有名になったときに輸出専門メーカーの「アカネ」を連想しました。
ところが後年、熊田貿易の熊田晴一社長と親しくなって、いろいろ輸出メーカーの裏話を聞くうちに、そのことに触れましたら、なんと「アカネテンリュウ」の馬主は輸出メーカー「アカネ」のオーナー、関野氏であったことを教えられました。
その関野氏にも三度お目にかかって、いろいろお話を伺いました。戦時中は海軍だったか陸軍だったか忘れましたが、戦闘機乗りで将校だったので英語が話せた。それで終戦で帰ってきてする仕事が無く、とりあえず立川基地の近くで子供相手にゴム飛行機の模型屋を始めたら、そこへ進駐軍の将校連中が来て鉄道模型を探せという。それで鉄道模型を扱うようになったのがきっかけで、大人の将校たちがこれだけ熱中するからには本国には相当なマーケットがあるに違いないと思って輸出専門メーカーを始めた、とのことでした。
国内の人件費の高騰を感じ始めて、労働集約型産業の典型である日本製のブラスモデルは国際競争力を失うと予測し、いち早く転業を決意、遊園地の乗り物と全国巡業のお化け屋敷請負でこれまた大成功を収め、日本馬主協会の会長を務めるほどの大馬主になった、という面白い業界人、まさに快男児というにふさわしい、ざっくばらんな方でした。
私の手元の「アカネ」製4-4-0は1962年(昭和37年)の製品だそうで、アーチ窓が可愛いモデルです。シンプルな造りですが、エナメルとアクリルで塗装を復元したら渋みが出て愛しさが増しました。
早速写してみたのが今日の写真です。従えているのは、これもe-bayで落札して昨日米国から到着した謎の古典客車。どこが謎かというと、たしかに製品なのですが、古い雑誌の広告でも見かけたことがなく、メーカーが判りません。車体の側面と妻面は厚手のペーパーに木目をエンボスしたもので、その手法からすると「ビンクリー・ラコニア」という客貨車専門のキット・メーカーの1950年代の作ではないかと思われます。偶然ながら、今回修復したアカネの4-4-0にちょうど頃合のテイストで悦んでいます。
今回修復したモデルは石炭焚きでキャップ付きのストレート煙突に延長タイプの煙室、と、古典4-4-0の中ではややモダンな姿ですが、最近e-bayで、さらに古い、ダイヤモンド煙突でサンド・ドームが2個、という珍しい姿のものも「アカネ」が造っているのを知り、思い切った値を入れて落札しました。(といっても最高限度額600ドルと入れて落札結果は130ドルですが)いま、その到着を待っているところです。e-bayは、「もう昔の話題」とおっしゃる方もありますが、「安く買う」というより、こういう謎めいたモデルがときどき出てくるところが私には新鮮で面白いですね。もちろん、それには、写真を見ただけで「いつ頃のどういう系統の製品」と見分けられる修練も要りますが‥
今年秋に出す予定の「Rails Americana」では、アメリカの4-4-0とモデルについて語ってみたいと考えています。