アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.65
フル・スクラッチビルト主義の方からすれば、「キットに頼る」というのは工作として邪道なのかもしれませんが、私はキットがむしろ好きです。実利的な理由としては「実物取材→模型化図面作成→材料取り揃え」の手間が省けるので多くの工作を手掛けられる、ということがありますが、私の場合には、それ以上に、なにか、クイズに挑戦するようなときめきを覚える、という要素が大きいようです。
どういうクイズかといいますと;
① 本当に組立て見本どおりに組めるだろうか?
② どんな材料と構造が用意されているのだろうか?
③ 「おまえなら、この製品をどう使って、どんなストーリーを描く」とメーカーの設計者に出題されている。
つまり、この「出題者としてのメーカー」の存在、それと知恵比べをしながら、あるいは設計者と説明書や図面を通じて語らいながら、工作を進める、という過程が楽しいのです。
もっとも、「キット利用」というのは、「他人のすることにある程度片目をつぶれる」性格でないとできないようですね。つまり、他人のすることのアラばかりが先に見えてしまう人には、他人の設計というのは許せないので自作するしかなくなってしまう、という循環になるのでしょう。
話は少しそれますが、レイアウト・ビルディングというのは、その対極にあるように私は感じるのですが、いかがでしょうか?
レイアウトというのは、「所詮どこかでアバウトにせざるを得ない」製作物です。簡単な話、距離とか空間は車輛や建物の縮尺のさらに10倍、100倍の単位に圧縮せざるを得ません。そういう空間のゆがみをどこかに創り出す、という物理的な不自然をいかに不自然に見せずにやるか、というのがレイアウト術ですし、また、車輛にくらべれば気の遠くなるほど膨大な個数のパーツ(たとえば花の数)を使うわけですから、車輛マニアの人がこだわるようなメッシュではとても作りきれませんし、また、そこまでこだわっても全体から見ればほとんど意味を持たないのが判りきっています。
一例をあげれば町中の電気の架線、電話の架線から各建物への取り込みの時代考証までやったところで、ただ眺めがうるさくなるだけで、メインテナンスの上でもわざわざトラブルを造り出す様なものです。ひまわりの花の直径は車輛に使われる六角ボルトよりはるかに大きくても、その花弁の数を精確に再現することにこだわっていたら、5cm角の庭一つにどのくらい時間が掛かってしまうか?それよりもトータルな眺めが大事なことは明らかです。
「一字の一点一画をもおろそかにしてはならじ」とばかりに神経を研ぎ澄ませてしまうとレイアウトは造れません。肩肘張って精確さを見せても、ちっとも面白くないのがレイアウトだ、ともいえると思います。
また、面白いことに、レイアウトを造っていると、「こだわって甲斐のあること、こだわっても効果の無いこと」が見えても来ますね。
その点で米国のHOというのは、基本的に「鉄道そのものの雰囲気を楽しむ」アバウト許容の世界ですから、レイアウトが造りやすいわけです。そこが私の性格に実にもぴったりなのです。キットもアバウトなものがほとんどですから、立ち向かうのに、そう繊細な神経は要らない、というのが私には合っています。
特に近年は、世の中が「人権だ」「個人情報がなんとか」「格差がけしからん」「安全の責任がどうのこうの」と肩肘張っていますから、そういう騒ぎと離れていたいための趣味ですので、模型を相手にしてまで肩肘を張りたくないわけです。
そこで新たに見出した楽しみがあります。
それは「米国のモデラーが壊した、とか、組み立ての中途で投げ出したモデルを直すこと」
これも、例の「e-bay」絡みなのですが、古い製品のカテゴリーを眺めていると、こうしたモデルが安価で結構放出されているのです。中にはキット代を現在の相場、台車とカプラーを新品価格で引くと、ボディーの組立ての手間では赤字、というのも少なくありません。このことは先月にもちょっと書きましたが、中には写真で一見みるとあまり状態が良くないように見えても、手直しや、ちょっとした追加工作で佳い味に仕上がるものが少なくない、ということが分かって、ますますはまっています。
特に、木製キットを組んだものは、刃先が鋭角になったNTカッターを使いますと結構きれいに分解したり、はみ出しを削ったりできますし、東急ハンズへ行くと売っている「3M」の「のり取りクリーナー」はじめ接着剤はがしのクリーナー(主として天然オレンジオイル主剤が多い)が便利に使えます。
今日の写真は今週そうした復元を完了して「ココペリ・サウスウエスタン」籍に加わったワーク・カーです。
正月休みにe-Bayで見かけました。個人の作品で、作者が歳をとって鉄道模型をやめたので誰か引き取り手を捜している、というので、写真が何枚か添えられていました。それらをみると、プラスティックのパーツ類が未塗装のまま使われていたり、窓枠にガラスが入っていなかったり、塗りわけもはみ出しているところがあったり、で仕上げの程度は今ひとつですが、いかにも小私鉄のワーク・カーらしい掘っ立て小屋然とした感じにデザイン・センスを感じました。特に木部の味が気に入りました。
で、1週間ほどの公開で、結局入札したのは私だけ、14ドル50セント(ちなみに付いているケーディーの台車の定価は現在7ドル45セント、カプラーが1輌分で約2ドル、そのほか人形3体、ドラム缶1個など)で落札となり、こちらもいいのかしら、と思ったものですが出品者も自分の作品を引き継ぐ人間が出てきたことによろこんでくれたようで、郵送に関する報告に添えてその旨のメッセージが届きました。
で、今週、①はみ出した接着剤を鋭角カッターナイフで削ぎ落とし、②ソフトメタル製に窓枠を木製ボディーからナイフで起し、0.2t透明エンビから切り出した窓ガラスを裏からはめ込み、③未塗装のままだったプラパーツをアクリル塗料で筆塗りし、車内色がはみ出していた部分も修正し、④破損していた手ブレーキ・ハンドルも復元し、⑤ココペリ・サウスウエスタンのディカールと車番を貼り、⑥窓ガラスをマスキングして全体を艶消しのスプレーでオーヴァー・コート、という手順で仕上げましたら、塗装の褪せ具合、剥げ具合がなかなか好ましい、いかにも作業車然としたものになりました。
日本の鉄道は最初多くを英国に学んだせいか、こういう手合いのボロ車は、国鉄はもちろん専用鉄道にすらほとんど居ませんでした。かえって米国からプラクティスを学んだ1435mm軌間の電鉄の作業車にこの雰囲気はあったような気がします。
写真はテーブル上でのものが到着時、D&GRNでのものが修復後です。模型の見栄えって、色味の落ち着き、色差しの丁寧さで印象が変わるものです。