2013.8.18

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.67

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私が愛着を感じる物のタイプの一つは「ゴツゴツ且つトゲトゲしたもの」のようです。鉄道車輛でいいますと除雪車がそうですね。その連想でいうと(あるいはその逆の連想か?)魚ではオコゼ、ホウボウ、カサゴの類、限界測定車とハリセンボン、そして船では軍艦です。(いまの軍艦はすっきりしてしまって、興味はそそられませんが‥)

で、ぜんぜん詳しくはないし、読んでも汽車ほどには覚えませんが、軍艦の本も時々買います。

その中でいつもながら感心するのはわが帝国海軍の船のネーミングのセンスです。外国ですと、歴史上の激戦地の地名であるとか、劇的な勝利をもたらした王族や指揮官の名前であるとか、結構生臭いものが多いですが、わが国は古い国名(敷島、大和)とか和歌で親しまれる山(三笠)の名前とか、穏やかで優雅なものが並びます。

一番感心するのは駆逐艦の名前で、あれだけの艦数をすべて天体運行、気象、大気現象に因んだ名称で揃えたのは見事です。そもそも世界で、気象、天候に関して、これだけの表現が名詞化されているのは日本語だけだそうですね。「雨」一つとっても村雨、時雨、五月雨、梅雨‥雨にさえ、もののあわれ、表情があります。英語では「レイン」の一語で終わりです。「朧(おぼろ)」などというのは、軍艦の名とは思えない風情があります。

そこへいくと、同じ日本でも鉄道の方の命名センスは今ひとつではないでしょうか?列車名だけは「ゆうづる」までは良かったですが、そのあと地方特急を大増発するようになってだんだん陳腐となっていき、それでも足りなくなって外来語を交えるようになってからはもうだめです。「サンライズ」ではなく「あさひ」では何故いけないのでしょう?「スーパー何とか」というのが一番いけません。安直の極みです。

形式名も無味乾燥な記号と数字の配列ばかりで、役所絡みのことだから仕方がないとはいえ、愛称ぐらいつけてもよかったのではないでしょうか?貨物用は歴史的な力士の名で、D52ならば「雷電級」とか‥英国の「イヴニングスター」級なぞは、いかにも蒸機最後の栄光、という詩情が漂っていて佳いですね。命名には詩情が無くてはいけません。それが日本の鉄道には欠けています。

そうゆう中にあって、唯一光ったのが、のちに国鉄関西本線となった「関西(かんせい)鉄道」です。誰がそういう粋なことを考えたかは知りませんが、機関車の形式名を歴史物語に登場する名馬の名前で揃えました。

一番佳いのがタンク機関車の「池月」、「磨墨(するすみ)」。これは源平合戦の中で、いよいよ平家に戦いを挑んだ頼朝が京へ向かって進撃を始める配下の二将に与える名馬の名前です。

もっとも、講談がすたれ、学校の歴史教育もマルクス史観に席巻されてからは日本の子供、若者はこうした史談に触れる機会が無くなってしまいましたから、いま「池月」といって直ちに「速くたくましい馬」と連想がつながる方も50歳台以下ではほとんど無いでしょうが‥もっとも私とても「池月」「磨墨」それに「鬼鹿毛」、昭和天皇の愛馬「白雪」くらいしか知りませんが‥いまでは国民的名馬といえば「ハイセイコー」に「オグリキャップ」ですか?

中国では史上有名な馬といえば、まず「スイ(“馬”偏に“唯”のツクリ。うちのパソコンでは変換できません)」。これは「項羽と劉邦」の項羽の愛馬で、最後の決戦で項羽が闘死する劇的な場面で、まずこの馬に乗って漢兵を蹴散らしたあと、脱出を勧める村長に項羽がその好意に感謝しつつ与えます。

それに次ぐのが、すこし時代は下って「三国志」に登場する「赤兎」(せきと)。「赤兎馬」(せきとば)とも呼ばれますが、これは最初、豪傑呂布の乗馬で、その死後、勇将関羽の愛馬となります。

「三国志」にも全く詳しくありませんが、以前、住まいの近所、新桜台駅のそばに「赤兎馬」というラーメン屋が出来、そこの看板に赤くたくましい馬が棹立ちしている絵が描かれていたので、その名が印象に残りました。(店は間もなく廃業してしまったので入らずに終わってしまいました)

さて号は遡りますが、ジョン・アレンのG&D鉄道に活躍した機関車たちのレプリカを揃えるプロジェクトに挑戦していることをお話したと思います。

その中でも、是が非でもやりたい一つはNo.50です。これはテンダーまで含めて全身が赤いパシフィック(4-6-2)で、G&D鉄道の急行用です。種車は機関車本体部分がバウザー社のダイキャスト製品のなかのニュー・ヨーク・セントラル(NYC)鉄道K-11クラス。テンダーはPFM-ユナイテッド製のブラス・モデル、サンタ・フェ鉄道の1950クラス2-8-0から取られています。このテンダーは別売もされたので、単体で手に入れることもさほど難しくなく、事実、すでに入手もできたのですが、あれほど長年大量に供給されていたNYCのK-11パシの方がなかなか手に入りません。

米国のネット・オークションでも時折出品されるのですが、なぜか軒並み「米国内とカナダにしか売らない」という出品者ばかりで、この4ヶ月でもう7件見送りになっています。抱えているのが揃いも揃って日本嫌いという不思議な物件のようです。実は12月に1件だけ「世界どこへでも売ります」があったのですが「いや、今月は遣い過ぎだから止めておこう」と珍しくひるんだのがいけませんでした。75ドルで即売、だったのですから、ここまで探しまくる時間を考えれば思い切るべきでした。

こうして逃したモデルに限って、その後、出逢いがなかなかありませんね。昔々、テレビの連続もので「あの橋のたもとで」という、携帯電話万能の今日では絶対に成立しない、もどかしさの極み、というすれ違いメロドラマがありまして、うちの母などはテレビの前で「馬鹿ね!行くんじゃない!」などと絶叫していましたが、鉄道模型の製品にもそういうところがあります。「これさえ見つかれば、ネット・オークションは卒業しよう」と思いつつ毎日検索を掛けるのですが、そういうときに限って、なかなか卒業させてくれません。

なんだか落語に出てくるサイコロ賭博と同じですね。今度目が出たらきっぱり足を洗おう、と自分に言い聞かせているのに負け続けるという‥

で、毎日心の中で「赤い罐、赤い罐」とつぶやいているうちに、G&Dプロジェクト以外にも自分の鉄道用に赤い罐が欲しくなってきてしまいました。大阪のライヴ・スティーマーで田中さんという方が愛機のモーガル(2-6-0)を朱赤に塗っておられ、取材のたびの惹かれておりました。「あんな罐が欲しい」

たまたま仕事場で私の席の真正面のケースの中段にシカゴ・ノースウエスタン(CNW)鉄道の(アトランチック/4-4-2)、DクラスのHOモデルがあります。書き物をしていて、ふと顔を上げると、その81インチ動輪と背高のドームに目が行きます。

棚のモデルはオーヴァーランド・モデルズの製品ですが、この機関車はむしろ天賞堂が1950年代から60年代に掛けて大量に造ったモデルの方が有名で、中古市場でもポピュラー、しかも相場はいまどきのプラスティック製Nゲージ蒸機を下回るぐらいです。

「あれにオイル焚き用テンダーを組み合わせて、ボイラーを赤くし、ココペリ・サウスウエスタン鉄道の快速用機ということにしたら‥」そんな遊び心が頭をもたげました。

このCNW鉄道Dクラスというのは従台車が、デルタでもコールでもウエッブでもない、ちょっと特徴あるものですが、ほとんど同じ設計のアトランがNYCとかボストン・アンド・メイン鉄道とか、結構あちこちの鉄道で新造発注されており、「そうした中から1台が流れて西部の果てにやってきた」というストーリーは荒唐無稽ではないでしょう。

20世紀に入って以後、赤いボイラー・ジャケットの例はシカゴ・アンド・オルトン鉄道のパシフィックにあったぐらいですが、「ココペリ・サウスウエスタン」は地元インディアンの経営で、「その機関庫の連中がまじないに赤く塗った」ということで、荒野にボディー・ペイントした馬を疾走させるイメージを高速軽牽引の大動輪機に重ねてみると、何かぴったりの感じが想い浮かびました。

赤はインディアンのまじないの赤ですから、G&D鉄道No.50のような抑えたものではなく、もっとホットな、チリ・パウダー的なものにして、その代わり、キャブやテンダーは黒いまま残しましょう。

重油焚きテンダーは天賞堂がU.S.R.A0-8-0の振替用に1960年代に何度か売った、「クリアー・ヴィジョン・タイプ」(入換に便利なように燃料庫の幅を狭めたデザイン)を中学時代に買ったのが、決まった使い道もないまま、下回りは重連運転の速度調整用にモーター回路に入れる抵抗の測定車に利用し、上回りはジャンク箱の中で30年以上くすぶっていたのを復活させることにしました。リベットは打ち出し表現の、しっかりした出来で、こんな手荒な扱いをしてきたのに塗装はほとんど傷んでいませんでした。ちょうど製品の時代色もおなじ頃同じメーカーが手掛けたCNW4-4-2と合います。

早速米国の中古市場を物色し、プライベート・ロードネームとなっていたので状態はいいのに安い、という天賞堂CNW4-4-2を見つけました。折から円相場も1ドルが76円台という最底値の時で絶好のタイミングでした。

機関車の到着を待ちきれず、テンダーの方は一足先に「ココペリ・サウスウエスタン」のエンブレムを平井さん特製のディカールで貼りました。機関車は到着するや直ちに上下を分解し、ボイラー・ジャケットを赤に塗り始めましたが、例によって赤系塗料は何を使っても隠ぺい力が弱く、最初ミスターカラーの「イタリアン・レッド」というのを筆塗りしましたが、はかばかしくないので、同じ塗料を吹き付けにしましたら、余計にムラになってしまい、挙句にパイピングの周囲に変な膜まで張ってしまう始末。それを専用シンナーで拭き取って均し、あらたにテスター社のプラモデル用エナメルの筆塗りで塗り直したのですが、本当に中古機関車を小さな機関庫で刷毛塗りしたような、ボテボテした感じになってしまいました。

これも「インディアン・タッチ(どんなタッチだ?)」ということで、とりあえず好とするか!と、モーターを手持ちのナミキのコアレス、14φx31mmに交換(例によって超強力両面粘着テープで保持)したところ、昔の製品のギヤー比が却ってよかったのか、予想をうれしく裏切って、思いがけない俊足ランナーとなりました。

機番はNo.10にしました。スケネクタディー製やピッツバーグ製に多い、長手のキャブに、西尾克三郎氏が戦前に播丹鉄道(戦時中に国鉄に買収で加古川線に)で撮っておられるピッツバーグ製4-4-0の10号機(元国鉄5200形)に通ずるものを感じたからです。(事実、CNWのクラスDはスケネクタディー製です)

落成試運転が水曜日で、早速手持ちの客車で編成を作ってみました。アンブロイド社の木製キットから組まれたオープン・デッキ3扉の荷物車(ボストン・アンド・メイン鉄道のものがプロトタイプ)と、ラ・ベル社の、これもバス・ウッドのキットから米国のモデラーによって美しく組まれた3軸ボギー展望車(荷物車は中破、展望車は小破していたのを修復) の2輌編成で、名づけて「ココペリ・エクスプレス」。客車のレタリングは未了(客車はココペリ・サウスウエスタン籍ではなく、グリーン・リヴァー・ノーザン籍にしたい)ですが、とりあえず写真に撮ってみました。

機関車の愛称は計画段階から決めていました。「赤兎」。アメリカですから「レッド・ラビット」というべきでしょうが、なんか「セキト」の方が似合うような気がします。漢語では何と発音するのでしょう?

「2輌編成のうち1輌が展望車」などという蒸機列車は日本では考えられませんが、米国の地方鉄道には展望車付きの小列車というのは結構実在しました。そうした実物の自在性も米国型のいいところです。こんな小列車ならいかにもレイアウト向きでしょう?

私は車輛そのものを造るより、こうして編成をデザインするのが好きで、それとレイアウト造りが相関関係にあるように思います。つまり「こうした編成が似合うコーナーを造りたい」と風景をデザインし、風景がかたちになるとまた「この風景に合う編成は?」と考える。その繰り返しです。ですから、「列車写真の豊富な本」というのは、私にとってはイマジネーションの源泉なのです。

『とれいん』をやっていた頃、私はそういうイマジネーションの種として誌上になるべく風景の中の列車写真を載せるようにしていたのですが、これが多くの読者、特に年配の工作派に大不評でした。「模型の参考にならないからダメだ」というのですね。広告主にも同じ意向が多かった。そういう意見が伝えられるたびに、「ああ、日本の鉄道模型界は貧しいなあ」と思っていました。いまはどの雑誌もその手の読者、広告主好みになっていると思います。(その即物的貧乏臭さが嫌で、私はここ6年、どの雑誌も全然見ていません)