2014.5.12

アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.79

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「レイアウト製作は難しそうだ、どこから手をつけていいか分からない」とは日本の模型界でしばしば耳にする会話です。

「そりゃ、いつまでも手を出さないで、ふんぞり返っていたって、レイアウトは自然に生えてくるものじゃ、ありませんよ、とりあえず手をつけてみないことには‥」というのが、私の心のつぶやきですが、敢えて同情的に理解するなら、「車輛と違って、手近なよりどころが無い、完全に感覚世界のものだから、マニュアルに頼る気持ちが強いうちは無理なのだ」ということはあるでしょう。

ですから、TMS誌を何十年も読んでいるのに、一向に手を出せない方もある一方で、専門誌などほとんど読んだ事がなくとも、模型店で材料を見ただけで、すらすら造ってしまう若い人も出てくるのです。

感覚、感性さえ磨いていれば、技術、技法はあとから自ずと附いてくるものではないでしょうか?そんな感想を持っています。

レイアウトのシーナリー・デザインは、自然を観察して、切り取って、圧縮する作業です。ですから、視覚記憶をたくさん持っているかどうか、が決め手になります。

樹木の生え様、物の置かれ様、人の立ち様‥人の姿勢には必ず理由があるし、歩道の人の流れにさえ、そうなる必然というのがどこかにある‥

ですから、車輛ばかり見て、周囲を見ていないと、レイアウトはまとめられない。日本のモデラーが一般的に「車輛にはこだわるのにレイアウトに弱い」理由はここにあるのではないでしょうか?一旦、「車輛は飾り物」くらいに割り切ってみると、「レイアウトが見えてくる」のかもしれません。

レイアウト工作には、車輛製作と違って、0.1mm以下を争うような鍛錬はまず要りません。切断も接着も穴あけも、小学校の夏休みの工作の延長程度の精度で事足りてしまいます。となれば、あとは「風景に対する観察力」に掛かっている、ということになりませんか?

私のレイアウト経験を振り返ってみますと、蒸気機関車を追いかけて鉄道写真を撮って回ったことは非常に栄養になったと思われます。大都会のど真ん中に生まれ育って、自然とか田園風景とかにほとんど無縁だった私に、あちこちを旅行し、線路を歩くこと、野山で長時間列車を待つこと、で、地形というのはどう流れるか、集落というのはどう形成されるのか、という勉強をさせてくれました。実際に見るばかりでなく、他の人の撮った写真からも、風景が読めるようになりました。

そうした経験を通じて、ある風景を、そのまま写し取る、ということではなく、その風景を成り立たせている自然なり人間社会なりの基本構造、骨組みを掴む、ということが大事なのだと分かりました。さらには、そうしたものは、規模の違いはあっても、理屈としては日本でも外国でも、さほど違わないことも‥

ですから、私のD&GRN鉄道には米国の風景になぞらえていながら、実は上目名も狩勝峠も奥中山も平機関区も貝島炭鉱も雄別鉄道雄別炭山も、エッセンスとして入っています。

今週は先日のキャス行きに同行した家内の撮影分の添削をさせられていました。一昨年のコロラド撮影旅行で何枚かものになるショットが撮れて以来、彼女は突然写真撮影にはまってしまいまして、こちらはすでに現役引退気分になっているのに反比例して独りテンションを上げています。

撮影現場に着いたら、すぐ脇に置くと、列車が画角の中に入ってから「オート・フォーカスがいうことを聴かない」とか「設定、これでいいの?」とか気を散らされるので、自分で場所を選ばせて、放っておくのですが、「煙の流れ方や車体の反射に対応できなくなるから」と教えて、日のある内は私同様、三脚は絶対に使わせません。キャスでの撮影会参加はこれで3回目です(ちなみに参加費、飛行機代は毎回私が払わされています)が、今回は暮れにヘソクリで買ったドイツ製高級コンパクト・デジタルカメラ持参だけに鼻息もいつもに増して荒く、並み居る白人鉄道ファンを掻き分けて、結構一人前に撮っていました。

今日の写真は、その家内の作品の一枚です。広葉樹主体の森というのは、相当多岐に亘る階調の緑で構成されているのが、よくご覧いただけると思います。レイアウトでも一色のライケンでベタっと埋めてはいけない、ということですね。

今回の発見ですが、家内の方が、外人との会話に物怖じしないですね。普段日本の男とでも相手の言い分には耳を貸しませんから、自分の言いたいことを通じさせるには、相手が外人だろうと関係ないのです。しかも、アメリカ人は女性には気遣いする教育が身に染み付いていますから、撮影会スタッフも顔なじみの彼女には皆、よく面倒をみてくれますので、「韓流なんて馬鹿くさくて‥」と、キャスに、はまっています。