アメリカ型鉄道模型・連載コラム『モデルライフ』 Vol.80
編集中の『レイアウト・ビルダーズ5』が作業の相棒である小畠女史の都合で締め切りが10日ほど早まり、JAMコンベンション事務局の仕事も一度で周囲のOKが出ないことがこのところ多いので、抱える仕事が増える一方、なかなか自分自身の模型作りどころでない日々が続いています。いくつもの案件を同時に抱えると、どれも時間配分が中途半端になるせいか、却って時間のロスが増えますね。
しかし、ここいらで本当に気を入れないとコンベンションへの出品作品が仕上がらない事態になってしまうのですが、しかし、そういうときに物事を端折ってやる、やっつけ仕事でやると、あとの手直し、というのは余計に手間が掛かるものです。あとの仕事のことを考えないで、目先の進捗を選ぶと、結局きれいな仕上がりにならない。やはり「最終ここまでやる」ということをきちんと考えないで手をつけるのは下策です。
やっぱり、ここは自戒して、愚直に積み上げていくしかないでしょう。プロのジオラマ作家といわれる人たちの作品を見る機会もありますが、やはり手早くやった仕事には味が無いですね。味を出したいと思ったら、トコトン煮詰めないとだめ、というところで、レイアウト造りとスープ作りは実に似ているようです。
で、コンベンションに向けて製作中の「船着場」パート2、明け方まで原稿書き、文章書きをしたあと、眠る前にひととき見つめては、考えがまとまったところはほんの少しででも前に進めています。
この2週間で、背景画に密着する工場は、道路際になる部分に剥げ掛かった広告を、キット付属のポスター、サイン類や、インターネットで見つけたディカールで加え、これも米国に注文していた、追加の換気装置が2,3日前に届いたのも取り付けました。
今日はこの段階で、2回目のウエザリングをやったところです。
この船着場は、太平洋岸か大西洋岸かは特定していないのですが、とにかく北の方にあって、日照は強くない、そんな地方を想定しています。
太平洋岸ではシアトル周辺、大西洋岸ではボストンから北へ行ってみますと、快晴の日で眺めは明るくても、日差しそのものは何となく、東京や伊豆、南カルフォル二アに比べると力がないのを感じます。
緯度が高くなれば、太陽は相対的に低くなりますから、光線も横がちになって、当たり方は弱くなります。
そして、世界の都市の多くは以外に緯度の高いところにあります。
一番驚いたのは、南仏の、ヨーロッパ人が日光浴に出かけるニースですが、あそこは函館とほぼ同じ緯度です。つまり、南仏の辺りの地中海というのはそんなに南の海ではなく、事実水温もさほど暖かくないし、市場で見ましたら、獲れる魚は北方系です。でも、ヨーロッパの大半は、それより北にあるわけです。
ちなみに、ロス・アンゼルスが北緯34度、東京か35度に対して、ニュー・ヨークが北緯40度、ローマ41度、ボストン42度、札幌43度、パリ48度、ヴァンクーヴァー49度、ロンドン51度、ベルリン52度、オスロは60度です。つまり、ヨーロッパの一番盛んな地域というのは極東へ持ってくれば、札幌から樺太に掛けたあたりに横たわっていることになります。
もう40年前にデンマークのコペンハーゲンに行きました時に、快晴で空気の透明度も最高なのに、露出計で測ったら、以外に露出が出なかったのを覚えています。
近くは数年前にナロー・ゲージ・コンベンションで、ボストンの北、メイン州のポートランドへ行きました時、昔の2フィート・ゲージ・ナロー鉄道の全盛期のモノクロ写真で、「さぞ緑豊かな地域」と想像していましたところ、シカゴで乗り継いだ飛行機がいよいよ着陸態勢に入って高度を下げていって、下界の木々がはっきり見えてきたら、かなりグレー掛かっていて、ガサガサした印象なのが意外でした。
地上に降りて、数日間滞在し、その間に、2フィート・ゲージの保存鉄道が走っている森にいきましたが、広葉樹の葉がみな深い皺が入っていて、光線の反射が少ない、カエデの大きいような葉では一面に産毛が生えているようなのもありました。
つまりこれは、太陽光線が弱いので、葉の方が皺や産毛で表面積を増やして少しでも多くの光線を取り込もうとしているのではないか、と感じました。だから、当たった光線があまり反射せず、それを上空から見たので、一面灰色掛かって見えたのでしょう。
ヌーディスト運動というのは1930年代に健康運動としてドイツから始まって、アメリカではニュー・ヨーク周辺から広まったそうですが、こうした光線事情を考えればむべなるかな、と思います。
ですから、この船着場の景色も、そういう高緯度地域、日差しは晴れても力が弱そうだ、というのを、建物の色をなんとなく煮〆たような幹事にすることで表現したい、と思っています。
今日は、先日米国へ行った際に高級文房具店で見つけた飴色のインクをアルコールで薄めて、タスカン・レッドの板壁に掛けてみる、というのを試してみました。
海外情報のカリスマを気取る人はよく、こういうのを「これさえあれば絶対!これが決定的」などと吹聴しますが、技法というのはTPOに合わなければ効果は出ないし、また、一つだけの材料とか、技法とかで作品が最高に素晴らしくなるわけでもないと、私は思います。これまた、スープを作るときのスパイスに似ていますね。
今日は陸地の全面にもブラックの水性ニスを刷毛塗りしました。グランド・カヴァーやバラストを撒く前の下ごしらえです。こうしておけば、グランド・マテリアルやバラストの隙間からベニヤ板の素肌が覗いて興醒めすること防ぐことが出来ますし、パウダーの間から知らず知らずに透けて見える下地の色で、グランド・カヴァーの色にも深みが出るのです。こんな、何でもないようなことをきちんとやっておくことが、実は一番大切なのです。
今回は湿りがちの海岸の土、という設定を考えていますので、下塗りにブラックを使ってみました。「手馴れ」ばかり選ばないで、こうした未知のファクターを敢えて放り込んでみますと、そこに「どうなるのだろう?」という期待感、高揚感が生まれて、「怖いものみたさ」が「やる気」につながっていきます。
「やったことがないから」「よくわからないから」「他の人がやっていないから」で、自分の領域を縛っていては、いつまでも応用力は付きません。結果を読めるようになれば、それをステップに、次の構想が涌いてくるようになるものですから、試行錯誤はどんどんやるべきです。
さて、次はいよいよ地面造りでしょうか?