モデルライフ Vol.1
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今週前半は、昨年末に米国のなじみの模型店のweb.カタログで偶然見つけて、信じられないような価格で入手した中古の0-10-0を正月以来、少しずつ調整と化粧直ししていたのを一気に仕上げました。その顛末は近く、web.版Rails Americanaに書きますが、昨年来、このように投売りされている初期韓国製ブラスモデルをレストアして快調機に大化けさせるのにもハマっています。
レイアウトD&GRNの方は、丘の上の石油井戸とその麓の街道が一応まとまってみると、その手前、これも30年前から作り掛けで放置してあったHOn3の小型機関庫を仕上げたくなりました。
この庫は数週間前、皆様に石油井戸の丘の工事着工をご報告した写真で手前に写りこんでいたと思います。
クレメンタイン支線の途中駅、ジェッツウエルはチコサン・ヴァレー木材会社の専用鉄道の分岐点ですが、同時に3フィート・ナロー線とスタンダード・ゲージの積み替えジャンクションにもなっています。そして、ナロー線の先はアスペン砂利会社の専用鉄道につながっていて、その砂利採り線が河岸段丘を切り割って川原へ降りています。
中学3年から鉄道写真を撮り始めた私が最初に熱中した被写体は私鉄、専用鉄道にかろうじて残っていた古典蒸機でした。そのバイブルとなったのが臼井茂信氏の「国鉄蒸気機関車小史」で、そこには明示5年以来の輸入蒸機の経歴が形式ごとに書かれており、それぞれの文末には「No.xxxは○○会社の専用鉄道に譲渡されています。」という紹介が書いてありました。
記述は当時でもやや古くなっており、実際にはすでに存在しないものが多かったのですが、「東北肥料」とか「日本軽金属」とか「日本炭鉱」とかいう会社名に接しては、「一体どんなところだろう?」、「国鉄からどう分かれていたのだろう?」、と想像を巡らせるだけでも愉しくて仕方がありませんでした。
これは、やはり、私が鉄道模型ではレイアウト造りを主軸に考えており、そこに架空の小鉄道を夢想する事をオーヴァーラップさせていたことと密接につながっていたと思います。
「本線と分かれた専用線を奥へ奥へと辿っていくと、突然小さな木造機関庫が現れて、その前に古典期が静かに煙を上げているのに出会う」というのが、私の大好きな想像なのです。実際にも、今はなき国鉄天北線の小石から出ていた藤田炭鉱宗谷鉱業所の専用鉄道の奥で、雪に半ば埋まった1線の木造機関庫の前に8100が煙を上げているのを見たときには、そこに自分のイメージする鉄道の理想像を見た気がしたものでした。
別途製作中のモジュール「米山鉄道」は、そうした自分の理想像の模型化ですが、レイアウトD&GRNも、私が写したかったシチュエーション、あるいは好みのアングル、の鉄道情景をアメリカ型の世界に仮託しているものです。つまり、私に夢の撮影地がD&GRNなのです。
したがって、当然、「線路を辿って歩いていくと、その先に小さな機関庫が‥」というのも用意されています。それが、この「アスペン砂利会社専用鉄道」なのです。
レイアウトというと、世界的に、運転経路の面白さが第一に考えられるようで、数々のレイアウト解説書籍もその視点で書かれていますが、私の目指すのは、全く違って、本当に情景第一.そこに自分が何時間でも佇んでいたくなるような風景の創出です。
ですから、この機関庫も本線の運転と全く関係なく、ここで小さなシェイを行ったり来たりさせているだけで愉しい独立空間としても考え、それが全体の風景の中にも溶け込んでいるようにする、という風に構想しました。
私が実物を撮り始めたときには、すでにありませんでしたが、昭和30年代半ばごろまでは河川改修や砂利採取の現場でも古典蒸機が使われており、「堤防の上の、小屋同然の粗末な機関庫に‥」という設定も私の夢見る場面の一つ。そこに「流れ流れて、ここに安住の地を見出した1台の小さなシェイが居る」というストーリーを考えたのが、もう30数年前のことです。
その30数年前、このファイン・スケール・ミニチュア社のキット、「ロギング・リペアー・シェッド」が発売になったとき、その隙間だらけのたたずまいに、すぐさま「これだ!1台の小型シェイが息づくのは!」と思い、すぐさま入手しました。
キットは、壁も屋根も、実物どおり、柱やすじかい、梁を先に作って、そこに1枚1枚側板、天井板を張っていく、というもので、キットとしては、このころからフル・インテリアを売り物にするようになったファイン・スケール社が始めた構造と記憶しています。
それで、とりあえず線路とのクリアランス、建物のボリューム感を見たくて、壁だけ作り、これは独立しては置けないほどにはかない構造でしたのでざっと造った地面に固着しましたが、そこで考えたのです。「いま、ここから先を作ると子供に壊される!」
なにしろ、やわな構造の上に、周囲にキャステイングの小物パーツが散乱する、という設定で、それがレイアウトの台枠の縁から30cm程度の近さでは、つぶされるのは目に見えている。そこで中断です。たぶん、実は、飽きたか、キャステイングの山を前に塗装の大変さを思って呆然としたのでしょう。
そこから30年が瞬く間に流れ、その間に次男が生まれ、しかし二人の子供は壊すどころか、寄り付かなくなり、結局、服に引っ掛けて一部を壊したのは自分。子育て終了に孫まで小学校に上がっても、小さな機関庫は建築途中の姿をさらしたまま独り佇んできました。
それが、背後の丘の姿がまとまった途端、突如、再開する気になったのですから、D&GRNの建設には計画など無く、実は気儘に手をつけているだけ、というのがよくわかるのですが、水曜日の朝、作り掛けのまま屋上倉庫の奥に眠っていたキットの箱を発掘するところから、事は始まりました。それにしても30数年中断していたキットの箱が、ちゃんと出てくる、というのはわれながら凄い記憶力ですね。
土曜の夜、キャステイング・パーツを洗浄して黒染め。そして、今日日曜の午後から、説明書を復習し、屋根を作り始めました。これが薄板およそ270枚を切り出して、貼り重ねる、という単調作業。その間に、キャステイング・パーツの中から、とりあえず窓枠と扉だけを塗装して‥
かみさんの「お茶飲まない?」「お汁粉作ったから、さめないうちに食べて」「あと5分で夕食だから片付けて!」「ワイン飲むから付き合いなさいよ」というたびたびの中断命令を乗り越えて9時間。「遂に!」小さな機関庫に屋根が乗り、窓枠と扉が付きました。
さっそく、ガラスケースの中に待たせ続けた小型シェイを取り出して、テスト撮影したのが今日お届けの写真です。背後の丘との風景の重なりが、我ながら、なかなか上手くいっています。別に、そこまで計算して造っているわけではないのに、こうした風景が現れるのも面白いことですね。
それにしても30年ウジウジ考えていて、やれば日曜の午後9時間、というのには愕然としましたね。その一方、何か昔の恋人に出会ったような幸福感に包まれた一日でもありました。このように、たちまちに時空を超えてつながるのですから、鉄道模型は偉大です。
中断のまま放置していた石油井戸の丘からしばらく「工事再開」の連鎖が続きそうです。