モデル・ライフ Vol.2
レイアウトD&GRN鉄道の各部分は「とれいん」誌などで折々ご覧にいれてきましたが、唯一、ざっとは形になっていながら、ほとんどお目に掛けてこなかったエリアがあります。
それがクレメンタイン支線の終点、クレメンタインの構内です。レイアウト・ルームの北側(想定では南方)の壁面、部屋を倍サイズに見せるための大鏡に沿った3,500 x 650mmのスペースです。
ここは、このレイアウトの着工以前、いや家が建つ以前に出来上がっていたセクションをそのまま嵌め込んだものです。このレイアウトを造ると決めた(それは「家を建てる」と決めた、と同義)時に、レイアウトの色調や密度がどのくらいものにできそうか、自分たちの技量を試してみよう、と、平井憲太郎氏とストラクチャー・キットの組み立てを分担して造ってみた、いわばD&GRNのパイロット版です。
扇形機関庫、ターンテーブル、大きい方の貨物駅は平井氏が、給水塔、駅舎、小さい方の貨物駅、駅前食堂は私が、組みました。
ここで決まった(というか、ほとんど成り行きでできた)色調が、そのままレイアウト全体の基調となって、今日まで続いています。
何故、この部分をほとんど公表しなかったのか、の理由は実に単純でした。
「照明が足りず、暗かった」からなのです。
部屋の照明を蛍光灯にしていれば、そういう問題は起こらないのですが、反面、蛍光灯の照明というのは、光が均一によく回る代わりに影がほとんど出ません。
「影が出ない、陰が出来ない」ということは「曇天状態」に近くなる、すなわち立体感が減じる、ということで、実物写真の撮影で常に光線の向きを意識してきた私たちには、それでは奥行きのある、彫の深い絵はできない、と分かっていましたので、このレイアウトには蛍光灯照明は一切用いなかったのです。(のちに夜景用のブルーランプだけ蛍光灯を使いましたが)
これはジョン・アレンのレイアウト写真をわれわれなりに解析してみた結果でもありました。「模型を実物らしく見せるのはディテールより影だ!」と‥
それで陰影の強いレイアウトを造ろうとしたのです。
この部屋を造った工務店に指示して、部屋中の天井には照明用の配線レールを敷きまわしたのですが、実際に製作を進めてみると、各エリア均一に照明をまわすには想像以上の数のスポットライトが必要で、それには五つある照明用回路の小ブレーカーの容量が足りず、したがってクレメンタイン地区には照明が十分に回らなくなってしまったのです。
それで、着工と同時に据えられた「クレメンタイン地区」は30余年に亘って日陰の中に沈み、文字通り「陽の目を見ることがなかった」のでした。
しかし、途中駅ジェッツウェルからクレメンタインへ向かう沿線である「石油井戸の丘」も大体かたちになってみると、背景画を入れるために途中が未成になっていたこの支線もそろそろ開通させるべき時期かな、と思うようになり、その気分を盛り上げるのは「照明だな」ということになりました。
これも経験上いえることですが、レイアウト建設を進行させようと思ったら、工事現場の暗いのはダメですね。立体感が掴めないためにイメージが涌きにくいし、寸法なども当りにくい。暗くて良いことは一つもありません。
反対に作業現場がパーっと明るいと、物事はどんどんやる気が起こります。
「これは、クレメンタイン構内に沿って在来の照明列とは直角に、配線レールを一本足そう!」と決めました。電源は背景画の裏の隙間にコードを通して、床のコンセントからとればブレーカーの容量は解決しそうです。
配線レール自体は先年解体した実家からサルベージしておいたものが大小数本あります。スポットライトの燈具も余剰品あり。あとはコネクターとコード、中間スイッチ、コンセントプラグ、それにハロゲン電球を買うだけ。
先週の水曜日、下町へ出たついでに秋葉原へ。何かやろうと思ったら買い物は週の中日に済ませておかないとダメだ、というのもこの五年ほどの隠居生活で覚えましたね。
それで、いよいよこの水曜日に工事決行です。なぜ一週間待ったか、といえば主たる理由はカミサンの手が空かなかったから。脚立に登って長さ1,800の配線レールを支えながらネジを締める、などというのは独りでは出来ません。「猫の手も借りたい」といっても、我が家にはあいにく猫は居りませんし、息子は電気ドリルの騒音が近所に響いても大丈夫な時刻には帰ってこない。使うとなればカミサンしかありません。
それで、まずコンクリートの天井にドリルで穴あけです。コンクリートに穴を開けるのは普通の電気ドリルではだめで、コンクリート用の刃はもちろん、本体には「振動ドリル」というのが必要で、これも「振動」に切り替えられるものは以前から持っています。
脚立に登って、まずネジ穴4箇所を当たり、5φのコンクリート用刃を装着した振動ドリルをスイッチ・オン!二人ともマスクをして、カミサンは地上から電気掃除機を脇に突きつけます。コンクリートの粉塵を舞わせないようにして、埃の拡散を防ぐためです。これは昔、歯科に掛かったときに、医師が高速ドリルで歯を削る脇から看護婦さん(看護士なんて、味気なくて呼べるか!)が、歯の屑を吸い取るのを知って以来、応用しています。
ところが、久しぶりに使ってみると、凄い振動!「振動ドリル」ですから当たり前なのですが、要するに一種の小型削岩機です。考えてみれば、もう15年近く、この作業をやったことがありませんでした。下へ掘るならまだしも体重が掛けられますが、天井へ向かって、というのは腕と背筋のツッパリだけが頼りです。金庫室の床を下から破ろう、というのと同じ姿を想像してください。
若い頃でしたら一度に10箇所以上も苦にならなかったのが、2箇所開けただけで、もうへとへと。二の腕の筋肉が痙攣して治まりません。カミサンに「顔色悪いわよ」とまでいわれ、その夜は早々に敗退。さすがに「年金が取れる歳、とはこういうことか!」と体で理解しました。背中一面、膏薬のマスキングです。
それでも、翌朝懲りずに再挑戦して、残り2箇所も何とかやりこなし、夜はまたカミサンに一方を竿で支えさせ、鉛キャップを入れた穴に配線レールをネジ留め。かき集めたスポットライト4個での夜更けの点燈式はちょっと感動ものでした。
かくして、やっと「陽が差した」クレメンタイン。改めて眺めてみると、34年前の化石ながら、なかなか佳い雰囲気です。レイアウトの他のエリアともうまく調和しているのは、材料は年々進歩していますが、腕の方はさっぱり上達していない、ということでしょう。ただ、いま見ると、若い頃だけに、細かい仕事はせっせとやっています。
よく「松本さんは、そりゃー経験豊富だからできるんですよ」とか「松本さんのように経験を積まないと難しい」とかいわれますが、これを見る限り、そんなことはありませんね。
やっぱり、「絶対にものにしたい」という執念と「すこしでも、いい味を出したい」という情熱でしょう。当時はまだストラクチャーの着色も二,三年の経験しかなく、シーナリーに至っては、プラスターなど初めての経験に等しい段階です。その程度のわずかな経験にもかかわらず、「やればできるはずだ」と信じた若い頃の情熱というのは、「怖いもの知らず」といいましょうか、われながら感心しますね。
ただ、あのころを回想していえることは、当時でも最高といわれる素材を吟味して使ったし、時間や手間は惜しみませんでした。その点では絶対に安直な妥協はしなかった‥だから、いまでも飽きが来ないものには、なっているのでしょう。
一方、改めて眺めると、「ホームの街頭はこのように頭部の小さいものでも、いまなら、点燈できる」とか、「鏡に映るだけの側の貨車のレタリングは、いまならコンピューターで簡単に裏文字にできる」とか、思いつく仕事は出てきます。この小さなスペースだけでも、まだまだ遊べる、ということですね。地面までつくっておけば、あとはどんどん良くしていくだけ、というのがレイアウトかもしれません。やっぱり、地面が出来るまでの辛抱、でしょうか?