2011.5.21

モデルライフ vol.6

アメリカ型鉄道模型20110520

先日はJAMの総会併催イベントの二日目、会としては初めての「レイアウト・ツアー」で、中央区に米国北西部の風景をテーマにしたHOレイアウトを造っていらっしゃる御園生信明氏の「SOO LINE」に案内のボランティアでお邪魔してきました。

御園生さんは私が生まれ育ったのと同じエリアである中央区にお生まれから現在までお住まいで、天賞堂と神田交通博物館、鉄道模型社、カワイモデル、という子供時代の行動半径も同じ、地域の先輩です。

氏の「SOO LINE」は私も「レイアウト・ビルダーズ1」に撮影して紹介させていただきましたが、その晩秋~初冬の景色の色合いは素晴らしいものです。製作のエネルギッシュという点では、私は御園生さんの足元にも遠く及びませんで、昨年秋には奥の山間部を従来の雪景色から紅葉の晩秋に変えるのに、山の斜面からすっかり作り直し、あらたに岩場が造られるなど、大変貌を遂げました。更には、その山岳部分に合わせて周囲や手前部分の樹木も数百本が新たに植え込まれたり交換されたりで、その色彩の深み、というか、遠近感、立体感は以前にも増して重層なものになり、そのアレンジの見事さには只々、唸りと溜息しか出ない、というほどの感銘を受けました。

長年、山岳写真も趣味にしてこられた方だけあって、山と草木を知り尽くしていらっしゃる、というのが、全体を眺めても、部分、部分で拝見しても、感じられます。

これだけの大仕事をお一人で、なおかつ2ヶ月ほどでやり遂げられた、というのですから、鈍足製作の私にはそのパワーはまさに神技としか思えません。

「ツアーガイド」役が終わってからも、レイアウト・ビルダーが寄れば話題は尽きず、つい3時近くまでお話して辞去しました。

さあ、帰ったら、自分もやらねば!と意気込んだものの、この二晩、続けて3時間ほどしか寝ていなかったのが祟って、地下鉄の中で突然睡魔。下車する新江古田でドアーが開いてから目覚めて飛び降りるという次第で、帰宅と同時に夕食まで熟睡。目覚めて自分の建設現場へ出てみると、私の気力が保てる工作範囲はいつも両手を軽く拡げたぐらいがせいぜいで、改めてその鈍足ぶりに呆れました。

私の干支は「丑」ですが、「亀年」「カタツムリ年」というのがあれば、きっと、そこの生まれなのでしょうね。要するに、不器用なのを何とかカヴァーしようと、用心深く、過剰なまでに下ごしらえし、その割りには、それがさっぱり役立たず、そのうえ「アッ、はみ出した!」、「今度は塗り戻し過ぎた!」などと修整を繰り返しながらやるから、時間が掛かるのでしょうね。自分にはそのやり方しかできないのですから、ただひたすら、それでやるしかないのですが‥雨水が鍾乳石を築くスピードといい勝負です。

というわけで、この1週間の前進は、例のコーナーの地面を下塗りし、線路にバラスト、道路や郵便局の裏庭にベースの砂を撒いた、という遅々たるものです。添付の写真は今夜の工事現場です。最近はこうした製作途中をブログにして公開するのが流行していますが、そういう方々の工作途中に比べると、私の現場がいかに汚く、不細工か、よく分かります。

文鎮は、郵便局兼雑貨店の入口踏み段(これが今回、建物の位置決めの指標になる)がボンド水で浮き上がらないよう、押さえているのです。これで足元がきちんと砂の中に埋まっているようしたいのですが‥上手く行くかは冒険です。

この有様をご覧になったやおよろずの神々が憐れみたもうて、ここから手助けしてくださるので、毎回何とか仕上がっていくのです。それが自分でも実に不思議なのです。